浅間神社(宮代町山崎)

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 宮代町立図書館の南150m程の位置に鎮座する浅間神社(南埼玉郡宮代町山崎744)。
浅間神社  ──宮代町山崎七四四(百間村字山崎)
歴史

 当社が鎮座する山崎は、江戸時代における百間村の南部に相当し、笠原沼落の右岸に位置する農業地域である。その村落の北端に鎮座する当社の境内は、かつては大人でも一人では抱えきれないほどの太い赤松が十数本も生い茂り、参道の脇には三○坪ほどの池があり、水田に囲まれた当社は浮き島のようであった。しかし、赤松は神社の賄いに充てるために昭和五十六年ごろまでに順次伐採され、池も昭和五十七年に埋め立てられてしまったため、現在は往時の面影はない。ちなみに、「赤松浅間」の通称は、この境内の赤松にちなんだものである。
 当社には建物がなく、塚の上に建立された「浅間大菩薩」の石碑が社である。この石碑建立の年代は定かでないが、「山重島村同行」と刻まれていることから、富士講の先達であった地元の島村家が建立したものと思われる。この山重講が、いつごろから当地で活動していたかは不明であるが、境内に文化十一年(1814)建立の「小御嶽再建同行中」碑があり、当時既に富士講が行われていたと推測される。
 一方、氏子の間では、境内にあった池は、当社が祀られている塚を作るために土を掘った跡であると伝えられている。このことと、「風土記稿」百間村の項に当社についての記述がないことを考え合わせると、当社が現在のような姿を整えたのは、文化年間(1804-18)以降のことと思われる』
(「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」より抜粋)
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 二十三夜塔と小室仙元宮。「埼玉の神社」には小宝仙元宮と書かれているが、塚の上にある浅間社に対してこちらは下宮になるので、小室仙元宮なのではないかなぁ。
『浅間神社
 所在地 宮代町山崎七四四
 浅間神社は、山崎の北東部のはずれ、笠原落を眼下に見る築山の頂上に祀られている。以前、赤松の大木が多数あった所から赤松浅間社と呼ばれており、江戸時代後半に造られたものである。
 祭神は木花開耶姫命で、仏教の大日如来と一体とされ、それを浅間大菩薩と呼んで富士山の神霊としたことにより始まると言われ、富士信仰の神社として建立されたものである。
 富士信仰は、古代より始まり、ことに江戸時代絶頂に達した。いわゆる「富士講」がそれである。天保十四年(1843)の将軍日光参詣不二道奉仕者国郡村数控によると信者の分布の中に「百間、西粂原、東粂原、和戸」等の町内の地名が見られ、この付近の布教の様子を知ることが出来る。
 毎年七月一日、当社では初山の子供たちでにぎわいを見せている。
 また、当社の西方には山崎の村社である重殿社(権現社)があり、周囲には町内では数少ない雑木林が広がっており、武蔵野の面影を残している。さらに、その北方には県選定重要遺跡でる山崎遺跡があり、先土器時代から古墳時代までの人々が住んでいたことが知られている。
 昭和六十二年三月』
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 赤松浅間池生類供養碑。
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 石段。
 右側に見える注連縄の付いた石碑が小御嶽再建同行中碑。
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 石段右側に小御岳石尊大権現。
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 石段を上ると塚の頂に浅間大菩薩。
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 以上で3月28日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mmとDA70mm。K10Dに50-150mm II。X30。
 この後は宮代町立図書館で資料を探してみたり、栗橋の井上酒店で全国鉄道むすめ2015限定グッズと純米吟醸みなみを買ったりしてから帰宅。
 帰宅後、宮代町立図書館のすぐ近くに稲荷神社が二社あったことに気付いて○刀乙
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