厳島神社(大泉町東小泉二丁目)

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 東部小泉線東小泉駅の西280m程の位置に鎮座する厳島神社(大泉町東小泉2-13)。
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『厳島神社由緒
 当社は古く弁天堂と呼びました。本尊の弁天尊は弘法大師作で、天正七年(1579)に勢光寺を開いた観誉了海上人が堂内に安置し、三代敬誉了信が寛永六年(1629)に横根原の現在地に竹堂を建てて勢光寺から弁天尊を移しました。
 六代廓誉住把の弟子、方誉休心が弁天堂のかたわらに竹庵を結び、初代の庵主となりました。その後、代々の庵主が弁天堂を守って来ましたが明治維新の神仏分離令により勢光寺から分かれて、弁天尊を御神体とする厳島神社になりました。明治四十一年(1908)に村社菅原神社に合併し、ついで同四十五年には上・下小泉村社合併により現在の小泉神社に管轄されました。しかし、地元の人々はこぞって氏子となり、従来通り、弁天様を福徳・智慧・財宝の神として信仰し、毎年五月第二日曜日に例祭を行っています。(細谷清吉記)
 昭和六十一年五月』
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 本殿。
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『弁天さまのいわれ
 天正七年に普照山勢光寺を開いた観誉了海上人が、弘法大師御作の弁天尊像を得て堂内に安置。
 三代住持敬誉了信は寛永六年横根原の現在地に竹堂を造って弁天尊像を移す。
 元禄四年、六代廓誉住把の弟子方誉休心は竹堂のかたわらに竹庵を結び、初代弁天堂庵主となる。
 九代巍誉諦心は弁天尊像の前立を造る。
 弁天堂庵主は、七代剃誉好善法子が文化八年七月二十七日に寂すまでつづく。
 以上は文政三年三月勢光寺より御本山へ提出した「普照山并末寺庵の創建起立書」による。
 明治元年神仏分離令により弁天堂は、厳島神社となる。社殿は六坪。別殿が八坪。境内二百九十六坪に山林など千坪。
 明治四十一年、下小泉村社の菅原神社に合併、ついで四十五年、上小泉の長良神社と菅原神社の合祀により小泉神社となる。
 地元の横根宿・久保宿の氏子たちは引きつづき福徳・知恵・音楽の大吉神として、毎年旧四月の巳の日に祭礼をつづける。
 戦後の農地解放、昭和三十一年の社日神社改築、四十五年の社日会館建設資金として売却、境内三十坪を残すのみとなる。
 弁天尊の本像は何時しかなくなり、人々は空しくおまいりすることとなったので、弁天尊像建立の運びとなった。
 平成十七年三月吉日』
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 弁天尊像。
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 道祖神。
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