八幡神社(本田)

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 埼玉県道69号深谷嵐山線と県道81号熊谷寄居線が交わる本畠駐在所交差点の北側に鎮座する八幡神社(深谷市本田138)。
 ここから170m程南下した所にある歩道橋脇に有形民俗文化財3号の双体道祖神が鎮座しているのだが、この時は気付いていなかったので撮影していない。また機会があったならばその時にでも。
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 かわもと郷土かるた。
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 拝殿と狛犬。
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 斜めから。
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『八幡神社改修之碑
 敬神尊皇は建國以来の諄風國体の基てあり崇祖愛郷は報恩感謝に発する親和協力
繁学への道である当八幡神社の御創立は養老六年と伝へられ由縁に拠れば元正天皇
霊亀二年多治比縣守遣唐使を命せられし折筥崎八幡宮に祈請して霊験をうけ帰朝の
後更に養老四年持節征夷将軍として東國の鎮撫にも神護めてたかりしにより此處に
筥崎宮を勧請して報賽の礼を行へるに因るといふ誉田別命を祀れるより誉田八幡と
崇めこの地を誉田郷本田郷といふと爾来村人の尊崇篤く信仰近郷に及ふここ本田は
明治二十二年本田村連合戸長役場区域の畠山村と合併し本畠村となり開化の進むに
從ひ武川村と合体して昭和三十年川本村大字本田となった近時世情の進転は著しく
村勢弥々盛なれば圃場の整備を行ひ道路を舗装して縦横に貫通させ将来への備へを
完了した氏子総代人等は豫てから鎮守の護持に心を碎いてゐたが整備による社地の
提供により多額の代償を得ることとなったのでこれぞ神慮によることと畏みこれを
機会に神社の改修を計画し氏子一同の参画多数有志の浄財をも加へて社殿社務所を
改築し末社参道鳥居の修復更に境内の整備を行ひ此の度総てを竣成した依って碑を
建て時の流れと経緯を記し関係者一同の芳名を刻んで永く記念とするものである
   昭和四十九年一月吉日
     埼玉県神社庁長武蔵一宮氷川神社宮司 東角井光臣 題撰並書』
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 末社群。
 左端の石祠には○の中に金の文字が彫られており、また荒川の近くでもあることから見て、金刀比羅宮だろうか。右の石祠三基は不明。
 末社殿には左から熊野神社、浅間神社、東照宮、天照宮、八坂神社、天神神社、雷電神社、稲荷神社、山之神社、榛名神社。
 フカペディアによれば、景行天皇二十六年に武内宿禰が東国に派遣され、各地の視察をしていた折に荒川の増水により数日滞在を余儀なくされ、その時に里人に様々な教えを与えたり熊野社を祀らせたり松を植えさせたりしたと伝えられているのだそうだ。
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 末社かと思ったら、納札社殿と書かれていた。
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