八幡若宮八幡神社(押切)

IMGS1443s.jpg
 荒川に架かる押切橋南詰下に鎮座する八幡若宮八幡神社(熊谷市押切1056-1)。

『当社は、文政十年(1827)まで、現在地から北西一キロメートルのところの荒川河岸(現荒川河川内)に鎮座していた。「押切の四角の森」と呼ばれた社地は、樹齢数百年を経た老杉が林立していたことから、旅人が釜伏峠から眺めると、必ず目に止まったという。四角の森というのは、遠望した折の森の形を形容したものである。しかし、この森も、文化六年(1809)の水害で一部水没、更に、文政七年(1824)、次いで文政十年の洪水で流失した。本殿のみは、難を逃れて近くの用水の側(元八幡)に仮遷座していたが、文政十二年、当社をそのまま放置するのを憂えた村人は、祭祀を永続すべき地を現在地に定め、遷座した。
 創建は、水害で史料を失い明らかではないが、口碑に、当地を領した武将が戦勝を祈願し、その報賽で社殿を建立したと伝えている。
 社名は、長く「八幡社」であったが、明治初年廃寺となった本山派修験、御正山東陽寺若宮坊の境内にあった「若宮権現社」を明治五年に合祀して、「八幡若宮八幡神社」と改めた。若宮権現社は「風土記稿」によると、天平勝宝三年(751)の創建を伝える古社である。
 祀職は、当地累代の篠田和義家が務める。同家は、宝暦十年(1760)の四組木綿手繦(よくみゆうだすき)許状をはじめとする江戸期の神道裁許状を六点所蔵している』
(「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」より抜粋)
DSCF4233s.jpg
『八幡若宮八幡神社
 所在地 熊谷市押切
 村社八幡若宮八幡神社は、明治初年まで八幡宮と称したが、明治五年上押切御正山若宮坊東陽寺の氏神若宮八幡社の祭神仁徳天皇を移転合祀し、同時に現在の名称にされた。
 祭神は誉田別命、御神体は明治初年まで誉田別命の乗馬の像だったが、合祀の際これを徹し御幣とした。なお、大正四年、大嘗祭記念として鏡を御神体として奉斎した。末社には、主神の神明宮ほか一社がある。
 本社の創立年代は不詳である。当社は、文化六年(1809)、同七年文政十年(1827)と度々の大洪水で流失したため、用水堀のほとり(元八幡)に仮本殿をつくり、文政十二年に現在地に遷座した。
 新年祭は二月十九日、感謝祭は十二月一日、大祭は十月十五日で、大祭当日は「ササラ獅子舞」が奉納される。
 平成十一年十二月』
IMGS1487s.jpg
 拝殿。
IMGS1456s.jpgIMGS1457s_20150906191241117.jpg
 拝殿前の狛犬。
IMGS1471s_20150906191316721.jpgIMGS1473s.jpg
 横から。
IMGS1475s_20150906191243363.jpgIMGS1476s.jpg
 外側の狛犬。
IMGS1483s.jpg
 神明社・稲荷社・戸隠社合殿。
IMGS1478s_20150906182943857.jpg
 神明大神宮。
 側面には「萬延元庚申年四月吉日」「武刕大里郡 世話人 上押切中 東陽寺持」と刻まれている。ちなみに万延元年は1860年。
IMGS1480s.jpg
 社殿裏にはマムシ注意の貼り紙が。マムシの活動時期は四月から十月頃であるそうなので、今は注意した方が良い。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード