弁天神社(須賀広)

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 大沼の中に浮ぶ弁天島に鎮座する弁天神社(熊谷市須賀広)。
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 対岸から鳥居。
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 大沼の北側に弁天橋が架かり、弁天島と繋がっている。
 駐車禁止の看板が設置されているが、道端には車が何台も並んでいた。ちなみに駐車場は大沼の南側にある。
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 鳥居。
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 弁天神社。
 大棟にはとぐろを巻いた蛇のレリーフが見える。
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『埼玉県指定文化財 嘉禄三年銘板石塔婆(復元品)
 この板石塔婆はその創建当所の姿を新たに復元したもので、原資料は日本最古の遺例です。復元には原資料の計測値を参考にし、高さ一六○cm・上幅六○cm・下幅六三cm・厚さ十二cmとしました。これは、当時の尺度で五三寸・二○寸・四寸に相当します。
 画像は阿弥陀三尊像を宝珠状の光背に彫凹めて中央に主尊を陽刻し、左右対称の位置に脇時を主尊同様陽刻しました。三尊像は、浄土信仰に基づく来迎像を表わします。主尊は頭光と身光を彫凹め、その中央蓮座上に結跏趺坐する阿弥陀如来をふくよかな半肉彫に仕上げ、両手は胸の位置で転法輪印の印相を結びます。
 両脇に並ぶ仏は、左手に合掌した勢至菩薩・右に蓮実を抱いた観音菩薩で如来と同様半肉彫です。両菩薩とも礼拝者に対面するように中心寄に体を傾け蓮座上に膝を屈めた来迎姿勢で立ます。光背は三尊とも独立した三光背式で、脇時の光背は正しく左右対称となっています。

 銘文は、陰刻で偈頌と紀年銘からなり次のような意味をもっています。
  諸教諸讃(もろもろの経典のたたえる仏は)
  多在弥陀(ほとんど阿弥陀如来のことです。)
  故以西方(ゆえに如来のおられる西方浄土を)
  而為一准(礼拝のめやすとするのです。)
 紀年銘は風化が進み、不鮮明ですが次のように判読できます。
          太歳 二十
  嘉禄三年 六月       (一二二七年 六月二十二日 亥歳)
          丁亥 二日

 嘉禄時代までの半世紀は、源氏平氏の戦いに始じまり畠山重忠を筆頭に武蔵武士の興亡がめまぐるしく、鎌倉幕府は源氏三代の将軍から北条氏の支配へ固められた激動の時期でした。兵乱や政情不安定による国内不安に加え、嘉禄前後は全国的な飢饉が度々起こりました。わずか十年程の間に「貞応・元仁・嘉禄・安貞・寛喜・貞永」と次々と元号が改められています。
 当時、江南町は武蔵国男衾郡に当たり畠山氏父祖以来の本拠地と考えられています。元久二年(一二○五)畠山重忠が謀殺され、畠山氏の一族郎党達はことごとく滅ぼされました。領地は重忠夫人の領地を除きすべて没収されましたが畠山の家名は残されました。一説に、嘉禄三年は重忠の二十三回忌に当ることから、畠山氏ゆかりの者達が重忠と一族の供養のためこの板石塔婆を建てたとする推測があります。しかし、なお多くの謎を秘めたままです。
 平成 二年 六月』
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 嘉禄三年銘板石塔婆のレプリカ。
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