三嶋神社(寄居町赤浜)

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 塚田集落センターの隣に鎮座する三嶋神社(大里郡寄居町赤浜1973)。
『荒川右岸に位置する塚田の地は、「風土記稿」に赤浜村の小名の一つとして載せられており、「古別に村落をなせしとぞ、鎌倉繁栄の頃は宿駅を置し地ならんと云、既に当所三嶋神社応永二年(1395)鰐口の銘に、武蔵国男衾郡塚田宿と彫たり、前に云鎌倉の古街道は、ここに残れり」と記されている。また「塚田は鎌倉街道の宿駅として栄え、塚田千軒町の名で呼ばれていた」との口碑も残る。
 当社の創建は、その立地から考えると、鎌倉幕府の開設以来、幕府から特別の崇敬と保護を受けた伊豆の三嶋神社の神を信仰した当地の土豪が行ったのであろう。当地は、塚田千軒宿と呼ばれた大規模な駅があり、鎌倉街道の要衝であったことから、ここを固めた土豪と幕府とは深い結び付きがあったと考えられる。また、その土豪が実力をつけるに至った背景には、荒川の川砂を利用して鋳物を製造する鋳物師集団が当地に存在していたことが挙げられよう。鋳物師集団の活動の足跡については、鎌倉期は明らかではないが、安房国清澄寺の明徳三年(1392)の銅鐘に「大工武州塚田道禅」と見え、南北朝期の活動が知られる。当社に奉納された鰐口(径一九・九センチメートル)もその年紀から当地の鋳物師によって作られたものであろう。ちなみに、地内では多量の金糞が発見されているほか、荒川対岸の黒田では「たたら」と呼ばれる製鉄溶鉱炉の跡も発掘されている。

 大山祇命・木花開耶姫命・少彦名命の三柱を祀る当社は、氏子からは「女の神様なので、安産の御利益がある」と語られている。
 祭りは、元旦祭、二月の初午祭、三月二十七日の例祭、七月二十五日の八坂祭、十月十七日の秋祭りの七つである。
 例祭は、鰐口の「応永二年乙亥三月廿七日」銘からもわかるように、鰐口を作った日を祝う由緒ある祭りと伝えている。このため祭日を変更せずに現在に至っていると伝える。
(中略)
 かつて塚田千軒町と呼ばれて栄えた当地は、「風土記稿」に「三島社 小名塚田にあり、民戸十八軒の鎮守にて、其氏子のものの持とす」と記されるように、江戸期には既に小さな村落となっていた模様である。その時代は不明であるが、塚田の地は一度焼き払われたとの口碑があり、そのとき衰微したものであろうか。
(中略)
 氏子の間には、鰻を食べてはいけないとの禁忌がある。このため、土用の丑の日でも当地の人々は鰻を食べることは希であるという。また、古くはどこの田にも鰻が棲んでおり、氏子が農作業などの際にこれをつかまえると「神様のお使いだから」と言って、当社の境内の神池に放したものであった。
 このほかに、地内できゅうりを作ってはならないとの禁忌がある。しかし太平洋戦争中の食料不足からやむなく栽培することになり、当社で神職に禁忌の解除祈願を行ってもらい、以後、きゅうりが出来ると、その初物を神社に供えてから食べるようになっている』
(「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」より抜粋)

 虚空蔵菩薩を祀る地域では鰻を食べないと言う話はよく聞くが、三嶋神社でも神使は鰻だったかなと思いググってみたら、三嶋大神の本地仏は大通智勝仏であり、大通智勝仏は虚空蔵菩薩の威力を表す仏様であるそうなので、まぁそういう関連なのだろうね。
 きゅうりを作らないと言うのは八坂神社を祀る地域でたまに聞く話であるが、こちらの末社の一つにやはり八坂神社がある。
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 鳥居の手前右側に浅間神社。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 稲荷神社。
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 神明神社・琴平神社・八坂神社・天満天神社合殿。
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 県指定文化財である鰐口の案内板。
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 町指定天然記念物である藪椿の案内板。
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