小被神社(寄居町富田)

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 出雲乃伊波比神社の南東300m程の位置に鎮座する小被神社(大里郡寄居町富田1508)。
 五年前は神社周辺が工事中だった為参拝できなかったが、今回は大丈夫。
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 二の鳥居。
 一の鳥居からは120m程の距離。以前は正中を直進するのは不敬であると言うことから、鳥居の前に石垣が築かれていたそうなのだが、現在はむしろ直進しろと言わんばかりの様子である。検索をかければその頃の写真などは見られるのだが、やはり実際に自分の目で見てみたかった。と言っても詮無きことではあるが。
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『小被神社 略誌
鎮座地 埼玉県大里郡寄居町大字富田字宮田1508番地
御祭神 主神 瓊々杵尊
    相殿 木花開耶姫命
    相殿 彦火火出見尊
由 緒 富田邑は、第二十七代安閑天皇の朝、千四百七十年前郡家郷富田鹿、塚越に居住
   せしに始り、富田鹿が郡内鎮護のため創祀せりと、伝承。
    延喜式内社 第六十代醍醐天皇延長五年平安中期に編纂された有名な書物に登録
   されて居ると云事。本年より数えて、一○八一年前。
    男衾郡総鎮守
    旧村社』

『当社は、「延喜式」神名帳に登載される男衾郡三座の一つで、古代から郡の惣鎮守として崇敬されている。
 社伝によると、古代当社を奉斎した氏族は、安閑天皇の時代、当地の豪族であった富田鹿で、これが郡の地主神である小被神を祀り、一社を建立したとある。富田鹿の事跡は、現在明らかではない。これについては。地内にある古墳時代後期の伊勢原古墳群の発掘調査の成果を待ちたい。
 また、この富田鹿のほかに古代当社に関与した氏族は、男衾郡に置かれた壬生部の管掌者として入植した渡来系氏族「壬生吉志」氏であると考えられる。この氏族の関連資料は「類聚三代格」と「続日本後紀」にある。これによると、男衾郡大領(郡の長官)の壬生吉志福正は、承和八年(841)自らの子供の生涯の調庸を全納し、承和十二年(845)には焼失した武蔵国分寺七層塔を独力で再建した有力者であった。おそらく壬生吉志福正は、男衾郡惣鎮守である当社に対し、大領としての政治的配慮から関与したものであろう。
 鎌倉期に入ると、当社は武蔵七党の猪俣党に属する男衾氏の崇敬を受けたといわれる。「武蔵七党系図」によると、猪俣時範の子、重任が当郡富田に移任し、男衾五郎と称した。また、その子の太郎もやはり富田に居住して无動寺氏と名乗った。両氏の館跡については、男衾氏が字堀の内、无動寺氏が字前塚越の現在の不動寺境内であると伝える。ちなみに、この不動寺境内の「大明神御下屋敷」と呼ばれる地は、当社の旧鎮座地であった。
 鎮座地の移転については、「武州男衾郡上下富田村与赤浜村境論之事」に次のようにある。天正年間(1573~92)、荒川の洪水により右岸にあった赤浜村は疲弊した。このため、当時この辺りを領していた鉢形城主北条安房守の臣、大久保氏が、赤浜村民に対岸の富田村馬草場を耕作地として与えた。ところは、その後、赤浜村民が富田村の村境を越えて土地を領有してきたので、富田村民は、江戸初期、当社を村境に移転し、境界を明らかにしたという。
 「風土記稿」によると、別当は京都智積院の末寺である大聖山真言院不動寺が務めた。
 明治期に入ると、神仏分離により不動寺は当社の祭祀から手を引くことになった。この時の「議定書」によると、明治二年、不動寺住僧弟子恵隆が還俗し、大富主殿と改名して当社の神職となっている。
 「明細帳」によると、明治四十年、堂ノ入と叺ヶ谷戸の山神社二社、大久保の愛宕社・原の内宮社・塚越の稲荷社・鳥羽の白山社・鷲丸の浅間社を合祀した。現在、当社内陣には狼の頭骨が納められているが、これは合祀した山神社の信仰にかかわった奉納品であろう。
(中略)
 当地の文化財として、明治維新に活躍した山岡鉄舟揮毫の社号額と軸が社務所にある。いずれも肉太で豪胆な筆勢をもって書かれたものである。このうち、社号額は、当時、鉄舟に誤って「男衾」と依頼してしまったとの逸話を持つもので、このためにいまだに拝殿に掛けられず、社務所内に掛けてある』
(「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」より抜粋)
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 拝殿。
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 斜めから。
 裏に回ると、白いスプレーでなんと書かれているのかも定かでない文字が落書きされていた。
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 狛犬。
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 伊勢原神明神社。
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 左から中郷愛宕神社、谷津白山神社、塚越稲荷神社、下郷内の宮社、牛頭天王宮。
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 石祠二基と冨士浅間大神。「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」に描かれた境内見取図には天照皇大神、山神、山神、富士浅間と記されているのだが、一基足りない。天照皇大神は神明社の方にまとめられたのだろうか。
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