八宮神社(小川町小川)

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 国道254号線と埼玉県道11号熊谷小川秩父線が交差する小川小学校(東)交差点の東北400m程の位置に鎮座する八宮神社(比企郡小川町小川990-1)。

『創建については、「風土記稿」に「勧請の年暦は詳ならざれど、元和三年(1617)再建の棟札あれば、それより前の鎮座なりしことしらる」とあるのが、最も詳しい記録である。ただし、この記事に見える「元和三年再建の棟札」は現存していない。また、当社は、元来は地内北部の日向山(愛染山とも称す)に鎮座していたが、享保二年(1717)に現社地に遷座したと伝えられる。日向山とは、現在日赤病院がある辺りで、旧社地とされる場所は山林になっており、往時の面影は全く残っていない。この遷座の理由は明らかではないが天保四年(1833)に建立された現在の社殿は、日光東照宮全棟の工事を担当した棟梁頭平内大膳守正清の七代目に当たる林兵庫正尊を大棟梁に、上州花輪の彫工石原常八主信を彫物棟梁にして再建された立派で大きなものであることから考えると、境内の拡張が目的であったものかと思われる。ちなみに、当社の本殿は、昭和五十三年に町から有形文化財の指定を受けており、棟札も残っている。
 近世の別当は、本山派修験の休蔵院が務めた。休蔵院は、幸手不動院の配下で、愛染山と号し、法印墓地の墓碑銘によれば初代の権大僧都長秀法印は延宝二年(1674)に没している。神仏分離後も院主が復飾して千島姓を名乗り、神職として祭祀を継承し、秀儀・秀巳・宮治・幹茂・三郎と務め、一時絶えた後、縁者の荻野孝一郎が神職を継ぎ、現在に至っている。
 当社の祭神は、「五男三女神の八柱の神」と伝えられ、一般に"八宮"の名は八柱の神を祀ることを意味すると説かれる。しかし、「五男三女神」の具体的な神名については諸説あり、「明細帳」では「天照大御神御子神五柱・月読尊御子神三柱命」、「風土記稿」では「国狭槌尊・豊斟渟尊・泥土煑尊・砂土煑尊・大戸道尊・大戸辺尊・面足尊・惶根尊」、「比企郡神社誌」では「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命・天之菩卑能命・活津日子根命・多紀理毘賣命・多岐津比賣命・天津日子根命・熊野久須毘命・市来嶋比賣命」とされている。また、当社の本地仏は愛染明王で、現在も内陣に安置されている像高三三センチメートルのの愛染明王座像については「風土記稿」にも「今本地愛染を置り」との記述がある。内陣には、この座像と共に貞享元年(1684)銘の棟札も納められており、その表側には「本地金剛界大日如来」裏側には「奉灌頂愛染明王天長地久国土安全攸(脩)」の文字が見える。
 八宮神社は、現在、小川町に四社、嵐山町に四社、滑川町に一社と、比企郡に限って存在し、しかもほぼ鎌倉街道上道に沿って集中的に分布している。また、八宮神社の分布している地域の東側には淡洲神社、南側には黒石神社がいずれも集中的に分布しており、この付近は神社の奉斎とその祭祀圏の関係について極めて興味のある地域である。しかし、これらの神社の分布の持つ意味は未だに解明されておらず、八宮神社の分布についても、郷土史家の大塚仲太郎が昭和五年に神社の分布は「和名抄」所載の郷名と関係があり淡洲神社の分布地は醎瀬郷、八宮神社の分布地は多笛郷に比定されるという説を、昭和十三年には八宮神社の分布は奈良梨から下小川に居住する千野氏や諏訪氏といった一族と関係があるという説を「埼玉史談」に発表している程度であり、この二説もまだ定説とは言い難い。
 「八宮」の文字は、現在どの神社でも「やみや」と読んでいるが、「風土記稿」にはすべて「ヤキウ」と振り仮名を付しているところから、元来は「やきゅう」と読んでいたことが推定される。このことは、福島東雄の「武蔵志」で、当社の社名が「八弓明神社」となっていることからも裏付けられ、寄居町鷹巣の矢弓神社や東松山市の箭弓稲荷神社との関連も考えられる。なお、「八宮」を「やみや」と読むようになった時期は明治維新後と推定されるが、読みを変更した理由は定かではない。このように、八宮神社の祭祀については不明な点が多くあり、その解明は今後の研究に期したいところである。
(中略)
 境内にある青麻大神社は、古くは「青麻三光宮」と称し、少毘古那命を祀る社である。同社は、足の神様として信仰されており、足が痛む時祈願し、治ると御礼に草鞋を一足奉納する習いがある。
(中略)
 当社の末社になっている諏訪神社は元来千野一家(一族)が氏神として祀っていた社であった。また、千野家には他にも一家で祀る稲荷神社があり、平素は「祈願すると失せ物がよく出て来る」と言われて信仰され、毎年初午には団子を供えて祭りを行っている。しかし、大塚仲太郎が推定した当社との関係については伝えられていない』
(「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」より抜粋)
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 由緒書き。
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 参道右側に芭蕉句碑。
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『芭蕉の句碑
    八宮神社境内、往時、椎の大木あり
    小川町大字小川九九一番地
    先堂能む椎の木も安里夏木立
                 者世越
        出典 猿蓑
        年代 元禄三年(一六九○)
        年齢 四十七歳
碑陰
       丁未之仲夏立之
          (弘化四年・一八四七)
句の大意
     奥の細道などの長旅で辛苦をなめた
    末に、しばしの安住を求めて、この幻
    住庵に入ってみると、傍らの夏木立の
    中にひときわ高い椎の木もあり、当分
    身を寄せるに足り、まことに頼もしく、
    まずはほっとする心持である。
   平成三年三月』
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 拝殿。
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 狛犬。
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『埼玉県指定有形文化財・建造物 八宮神社社殿
 所在地 小川町大字小川九九一‐一
 平成二十四年三月十六日指定
 八宮神社社殿は、本殿と拝殿を幣殿でつないだ複合社殿です。本殿は棟札によると天保四年(1833)に建てられました。大棟梁は林兵庫正尊、彫物棟梁は石原常八主信で、妻沼歓喜院聖天堂を手掛けた大工や彫物師の系譜を引いています。埼玉県内に特徴的な精巧な彫刻をもつ寺社の中でも、年代を特定できる好例として貴重な建造物です』
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 本殿西面。
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 中段が「三顧の礼」のシーンであるのはわかるが、下段の童子はなんだろう。なにかゲームのようなものをしているようにも見えるけど。
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 本殿北面。
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 これまた「三顧の礼」のシーン。西面には諸葛亮と諸葛均、北面には張飛・関羽・劉備の彫刻が施されている。そして下段は棒馬で遊ぶ童子達。
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 これらもなにかのワンシーンなのかな。わからん。
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 本殿東面。
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 こちらの面は「三顧の礼」と繋がってはいないようだが、はて、なんだろう。下段は亀で遊ぶ童子。
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 諏訪神社。
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 御嶽神社。
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 青麻三光宮。
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『埼玉県指定有形文化財・建造物 青麻三光宮本殿
 所在地 小川町大字小川九九一‐一
 平成二十四年三月十六日指定
 八宮神社境内に末社として建つ青麻三光宮本殿は、棟札によると天保十三年(1842)に八宮神社本殿と同じく林兵庫正尊を棟梁として建てられました。八宮神社に比べ規模は小さいですが、本殿全体に施された彫刻は見劣りしません』
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 八宮神社の拝殿と青麻三光宮の間に建つ鳥居。
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 額はあるのだが、文字は消えてしまっていてわからない。「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」に記された境内見取図を見ると、先ほどの鳥居の先には大黒天があり、現在は見取図よりも境内が広くなっている為見取図に記された位置に大黒天は無いが、平成大改修の内容を記した案内板には平成十二年八月五日に大黒天社殿を移築したとあるので、こちらは大黒天であると思われる。
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 神池に神橋が架けられ、その先に祠が二つ並んでいる。
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 池があるのでてっきり厳島神社だろうと思っていたら、案内板に「平成九年十二月一日 天神社・稲荷社の社殿奉献」と記されているので、稲荷社と天神社なのだろう。
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 改修整備事業案内板。

 さて、これで八宮神社九社全てを巡ったわけだが、どうにもよくわからない神社だ。
 小川町下里の八宮神社を総本社として、小川町は小川、中爪、能増。嵐山町は越畑、志賀、杉山、廣野。滑川町は和泉。しかし下里の本社からの分霊は越畑・志賀・杉山・廣野・下小川・中爪・能増と記されているので、和泉の八宮神社は下里からの分霊には含まれず、ではどこから来たものなのかと言うとそれを記したものがないのでわからない。そして八和田神社の石碑には下横田の八宮神社を合祀したと記されており、「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」には、風土記稿には志賀村に八宮神社が二社あると記されているとある。これらについては資料が無い為わからない。
 そして、下里の八宮神社の御祭神は高龗神・伊豆能賣神・墨江三筒神・海見三柱神であるのに、そこからの分霊を勧請した先では同じ神を祀っているところが一社もないと言うのはどういった訳だろう。
下里  高龗神・伊豆能賣神・墨江三筒神・海見三柱神
小川  五男三女神あるいは国狭槌尊・豊斟渟尊・泥土煑尊・砂土煑尊・大戸道尊・
    大戸辺尊・面足尊・惶根尊
中爪  素盞嗚尊
能増  当地を治めた豪族と日本武尊
越畑  「明細帳」では応神天皇、「比企郡神社誌」では素盞嗚尊
志賀  下照姫命
杉山  建速須佐之男命・大己貴命・稲田比賣命
廣野  建速須佐之雄命・大己貴命・稲田姫命
和泉  素盞嗚尊・大己貴命・稲田姫命
 ほぼ半数が素盞嗚尊を主神としているのはどういう訳だろう。そして八柱の神を祀っているのは下里と小川のみで、他の八宮神社の主祭神の数は八柱に届いていない。小川八宮神社の南西2km程には八王子神社と氷川神社があり、更にそこから南西3km程に氷川神社が二社ある。八王子神社の御祭神は五男三女神であり、氷川神社の御祭神は素盞嗚尊・大己貴命・稲田姫命の三柱神である。御祭神だけを見れば、むしろこれらの方が近いのではないかとさえ思えてくる。
 本当に、よくわからん神社だなぁ。
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