栃本観音堂(小川町大塚)

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 小川図書館の西側、緑会館脇に鎮座する栃本観音堂(比企郡小川町大塚212)…と言うか不動堂。

『大塚の緑町は、古くは小川宿栃本といい、その地内に祀られている観音堂は、正徳二年(1712)に記された縁起によれば、奈良時代に行基が秩父に向かう途中でこの地に立ち寄って観音像を刻み、小庵に安置したことに始まるという。その後、平安時代には坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、承和年間(834~48)には吉志福正が堂を修復したとされる。鎌倉時代には地元の豪族の猿尾氏や斎藤氏に庇護されて栄えたが、戦国時代に大梅寺と同様に焼き討ちにあって焼失したものの、江戸時代に入ると慈光寺に詣でる途中にこの地に立ち寄った徳川家康の命によって再建されたと伝える。しかし、元禄年間の初め、雷火によって再度焼失し、その後再建されたものが現在の堂である。
 さらに、慶応三年(1867)になると、観音堂の近くに地元の成田不動尊の講中である立身講の人々が千葉県の成田山から不動尊を勧請して祀るようになった。これが「緑町成田不動尊」の始まりで、その後年を追うごとにこの不動尊の信仰が盛んになり、節分には町内の名士を年男に招いて盛大に豆撒きが行われるようになった。また、大正の初期には十二月六日に酉の市も立つようになった。こうした経緯によって、現在のように境内の中央の堂には不動尊が祀られるようになり、観音像は脇の小堂に祀られるようになった』
(「小川町の歴史 別編 民俗編」より抜粋)
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 由緒書き。
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 滑り台の上から。
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 こちらが観音堂なのだろうか。
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 閻魔堂。
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 堂内には閻魔王像以外にもいくつかの仏像が見える。
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