八幡神社(小川町大塚)

IMGS3144s_201510072116461ae.jpg
 小川町営八幡台グラウンドの南側に鎮座する八幡神社(比企郡小川町大塚427)。
 一の鳥居は八幡神社から350m程東に建てられており、ここから北へ向かうと大梅寺、東へ向かうと仙覚律師遺跡や小川町立図書館がある。ちなみに八幡台グラウンドは古くは八幡神社の馬場であったのだそうだ。
 社号標石の裏面には「紀元二千六百年四月 氏子中 昭和四十九年三月再建」、鳥居の柱には「紀元二千六百年記念」「昭和拾五年四月建 氏子中」と刻まれている。それと、よく見るとこちらの社号標石に刻まれた「幡」もノの部分が彫られていない。とすると、角山八幡神社の社号標石もわざと異体字にしたのだろう。
IMGS2882s_20151007211645836.jpg
『八幡神社
 所在地 比企郡小川町大字大塚
 八幡神社は、元弘三年(1333)に、創建されたと伝えられている。
 鎌倉幕府の滅亡に際し、将軍であった守邦親王は、慈光寺山麓の古寺の里に亡命し土豪猿尾氏に迎えられ、この梅香岡に仮寓したという言伝えがある。
 守邦親王が鎮守神明社の境内に勧請したのが、八幡神社のはじまりであるといわれている。
 慶安二年(1649)、三代将軍家光より社領十石二十斗を賜って以来歴代将軍から、御朱印を受けていたと伝えられている。
 守邦親王が生前、小字的場で馬術を練習した故事にならって境内でかつて流鏑馬や馬くらべが行われていた。
 八幡神社の大欅は、町の天然記念物に指定されている名木で、この木が下から水を吸い上げるため、この地の井戸はどんな日照りでも水が枯れることがないと言われている。
 昭和五十九年三月』

『増尾・角山・飯田・大塚の四か村と笠原の一部の地域は、中世の麻師宇郷に相当するといわれている。大塚の八幡神社は、この四か村の中央に位置する台地上に鎮座しており、古来、広範囲の人々の崇敬を受けてきた故を以て、戦前は町内で唯一郷社に列していた。
 境内のある台地は、かつて日本武尊が東征の折りに布陣したところといわれ、それにちなんで古くから神明社が祀られていた。その後、文治三年(1187)に源頼朝が山王社(現日枝神社)を、さらに元亨三年(1323)にこの地に隠遁していた鎌倉幕府最後の将軍となった守邦親王が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を境内に勧請し、その結果、八幡社が主体となって祀られるようになったと伝えられる。
 しかし、社蔵の「応永文書」に、文永のころ(1264~75)に八幡宮の方が村の鎮守になったため、本社であった神明社は摂社となった旨の記載があることから考えると、元亨三年以前から何らかの形で八幡社が祀られていたことがうかがえる。麻師宇郷を領していた豪族の猿尾氏は源義経の臣であったため、源氏の氏神である八幡社を自らの所領に祀っていたことは想像に難くない。
 また、社伝によれば、守邦親王は鎌倉幕府の滅亡後、一旦京都に上ったのちに源氏と縁の深い都幾川村の慈光寺を頼ってこの地に逃れ、猿尾氏に迎えられてからは梅皇子と名乗って再挙を図ったが志を遂げられないまま没したので、その霊を自ら勧請した鶴ヶ丘八幡宮に配祀したという。「新編武蔵風土記稿」に「梅皇子の霊を祀る」と記されているのは、そのことを言ったものと思われる。
 このほかにも、八幡神社の行事や信仰には守邦親王にちなむものが多い。例大祭は親王の命日である九月十九日を祭日とし、生前に親王が的場で馬術の練習に励んでいたことから流鏑馬が行われていた。また、この日授与する矢除守は、守邦親王の父である久明親王が将軍となって鎌倉に下向した際に母君から授かったお守りに倣ったものであるという。なお、神職の片岡家は、守邦親王の子孫とされ、江戸時代には梅香山梅岑寺と号する本山派修験の寺であった。
 矢除守や、流鏑馬の神馬に陪従して無病息災を願う子育矢(陪従矢)によって、八幡神社は子育ての神として信仰が厚いが、「子」が「蚕」に通じることから、養蚕が盛んなころには養蚕の神としても信仰され、比企郡下はもとより入間・大里・児玉・秩父の各郡や群馬県に多くの崇敬者があった。また、同社は縁結びの神としても信仰されている。それは、かつて境内の芭蕉句碑の脇には、愛染椿と呼ばれる椿の大木があり、その葉を取って白紙に包み、拝殿前の石段で潰して葉が藍色に染まると相思の人と結ばれるとされてきたためである。この椿は枯死したが、現在は二代目が植樹されている』
(「小川町の歴史 別編 民俗編」より抜粋)

『守邦親王は、実際には元弘三年(1333)五月二十二日の幕府滅亡の日に将軍職を退任し、出家したが、その年の八月十六日に三十三歳の若さで鎌倉で薨じている。したがって、伝承とは異なるのであるが、しかし、そのような伝承を生むような背景があったのではないかと考えられる。参考までに他の所伝を引いてみたい。
 当社別当の梅岑寺の系図には「建武元年(1334)梅麿誕生 於此増尾郷建立一社而勧請鶴岡八幡宮為氏神于時九月十九日也即大塚村八幡宮是也」と記され、梅麿が誕生したのを機に九月十九日に氏神である鶴岡八幡宮を勧請したとの異伝が残っている。また、梅皇子は貞治二年(1363)に薨じて「清浄院二品親王嘉慶法師」という法号を奉られ、割注に「奉葬八幡宮正面」と、皇子を当社前方の穴八幡古墳に葬ったことを記している。
 「風土記稿」八幡社の項には、「当社は建治二年(1276)〔或は建武元年と云、大梅寺の伝に梅皇子永仁三年(1295)薨ずと見ゆれば、建治ならざること明けし、〕後深草院第三の皇子、梅皇子の霊を祀れり、(中略)一説に梅皇子は守邦親王の庶子なりしといずれもうけ難き説なり」と、親王の薨年はもちろん、梅皇子を親王とすることにも疑問を呈している。そして大梅寺の項には「相伝ふ当寺は建治二年後深草院第三皇子、梅皇子の建立し玉ふ所なり、彼皇子は正元元年(1259)故有て当所へ下向し、永仁三年九月十九日薨じ玉ひしを、当寺に葬りて大梅寺殿二品親王賀慶法師と諡し奉るといと覚つかなき説なれど、姑く伝のままを記せり」と、こちらも疑いつつ所伝をしるしたとしている。
 梅皇子が奉葬されたとする穴八幡古墳が、地名の由来である大塚のことで、七世紀初頭から中葉にかけての築造であるが、鎌倉から室町にかけて重葬が行われており、骨壷が納められていた。石槨入口の左側石面に「建治四年戊寅二月彼岸日」と年紀が刻まれているから建治初年に葬られた有力者がいたことになる。また、梅皇子を守邦親王の庶子とする説から推して親王の御子を当地の源氏系の人々が擁護し、それがこうした貴種流離譚と結び付いたことも考えられる』
(「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」より抜粋)
IMGS2894s_201510072116443c8.jpg
 二の鳥居。
 こちらは明治四十四年十二月の建立。一の鳥居よりも二十九年程古い。
IMGS2984s.jpg
 参道右手側、ブルーシートを掛けられているこれは、おそらく土俵だろう。奉納相撲などが行われているのだろうか。
IMGS2909s.jpg
 参道。
IMGS3001s.jpg
 水盤には「元文四己未九月吉日」と刻まれているので、1739年のもの。
 その奥には昭和六十二年(1987)四月建立の向拝・境内社・社務所新築記念碑と、昭和二年(1927)十月建立の社務所・競馬場建設碑がある。
IMGS2911s.jpg
 神楽殿。
IMGS2990s_20151007211641509.jpg
 拝殿。
 石燈籠には「安永六年丁酉之春三月吉日」「梅岑寺勝清」と刻まれているので1777年の造立。
IMGS2938s_20151007231520f6b.jpg
『御社名 八幡神社(旧郷社八幡宮)
 御祭神 誉田別命・保食命・大山咋命
     天照皇大神・豊受大神
 境内社
  産泰神社(伊弉諾命・伊弉冉命)
  天手長男神社(天手長男命)
  琴平神社(大物主命)
  秋葉神社(軻遇突智命・河菜姫命)
  寅稲荷神社(倉稲魂命)
  天神社(菅原道真)
  疱瘡神社(少名彦名命)
  大山祇神社(大山祇命)
  高良神社(武内宿弥命)
  高龗神社(高龗命)
  稲荷神社(豊宇気姫命)
  新羅神社(奥津甲斐弁羅命)
  愛宕神社(火産霊命)
 御祭事
  元旦祭  一月一日
  春 祭  三月十日
  例大祭  十月十九日
  七五三詣 十一月十五日
  秋 祭  十一月二十三日
  他小祭』
IMGS2966s.jpgIMGS2967s.jpg
 狛犬一号。
 台座には「大正四年三月吉日建」「東京市日本橋室町壹丁目 納主 山本徳治郎」「世話人 大塚常次郎 氏子惣代一同 石工 曽根多志三」「社掌 片岡勝明」と刻まれている。大正四年は1915年。山本徳治郎の名は大塚の八坂神社の鳥居にも刻まれていたが、信仰心の篤い人だったのだろう。
IMGS2963s.jpgIMGS2964s_20151007224528732.jpg
 鳩。
 八幡神の神使は鳩だから不思議はないが、しかし、なかなか見かけるものでもない。
IMGS2943s.jpgIMGS2949s_20151007224525dbd.jpg
 狛犬二号。
 台座には「明治廿二年一月」「願主 関根喜兵衛 當所」「熊谷石原 石誠」と刻まれている。明治二十二年は1889年。こちらの方が古いわけだから、むしろこちらが一号か。
 右は狛犬と言うより人面犬と言った感じだが、先代の狛犬から移し替えたものなのだろうか。
IMGS2957s.jpgIMGS2954s.jpg
 別角度から。
 顔面の接合部がはっきりわかる。
IMGS2931s.jpg
 斜めから。
IMGS2995s.jpg
 引きで。
IMGS2922s.jpg
 疱瘡神社・寅稲荷神社、天満宮、秋葉神社・天手長男神社・琴平神社。
IMGS2924s.jpg
 産泰神社。
IMGS2926s.jpg
 高良神社、高龗神社、新羅神社・稲荷神社。
 後ろに見えるのは納札所。
IMGS2936s.jpg
 石祠。
 何神社なのかはわからないが、大山祇神社か愛宕神社のどちらかだろうか。
IMGS2889s_2015100800430269c.jpg
 境内の端に庚申塔。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード