穴八幡古墳(小川町増尾)

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 八幡神社の100m程南に位置する穴八幡古墳(比企郡小川町増尾63-1他)。
 史跡のカテゴリーに入れようかとも思ったけど、八幡社が祀られているので神社カテゴリーで。
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『県指定史跡 穴八幡古墳
 小川町大字大塚と増尾の間に位置する八幡台地のほぼ頂部に立地する穴八幡古墳は、埼玉県内でも最大級の規模を持つ方墳です。首長を治めた横穴式石室は南に開口し、内部には下里産出と考えられる大きな緑泥石片岩を利用しています。また、この位置が小川の盆地を一望にみわたせることなどから、この古墳の被葬者はこの盆地を治めた有力人物であったのかも知れません。
 新編武蔵風土記稿によれば、この古墳は寛文(1661~1673年)の頃、切りくずして陸田にしようとしたところ、石室が現れたので中止したことが記されています。なお、文政十二(1829)年、島田氏が八幡神社を勧請したので穴八幡と呼ばれるようになり、遠く江戸吉原のおいらん衆が奉納した提灯や手ぬぐいが残っていました。
 平成十年三月』

『穴八幡古墳は、大塚郷に属していたが、貞治二年(1363)には郷界移動により増尾郷に属するようになった。宝暦八年(1758)に増尾村の島田重右衛門後家が梅岑寺に管理を任せ、その後、島田家が氏神を重ねて祀った。島田一家の氏神では困るということで氏子が明治五年七月に提訴したが、結局、島田一家の社として認められ、氏子は大塚八幡社のみの氏子として落着する』
(「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」より抜粋)
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『埼玉県指定史跡 穴八幡古墳
 小川町大字増尾字岩穴六三‐一外
 昭和三四年三月二○日指定
 平成三年三月一五日追加指定
 当古墳は、巨大な横穴石室を備える古墳として、昭和三四年に埼玉県指定史跡に指定されました。古墳の形は、当時円墳と考えられていましたが、昭和六三年の発掘調査や測量調査により、周囲に二重の周堀を備えた方墳であることが確認されました。
 古墳は、墳丘の高さ約五・六m、一辺の長さ三二mを測り、周囲の堀は内堀が幅五・七m、外堀が三・七~四・七m、外堀の一辺の長さ六一・四mを測る、県内最大級の方墳です。
 石室は、緑泥片岩などの大きな一枚石を組合せ、内部は奥室と前室から構成され、全長八・二mを測ります。
 当古墳の造られた時期は、埴輪が出土しないことや前庭部から出土した須恵器から古墳時代終末期、七世紀後半と考えられ、小川盆地の古代文化を考えるうえで非常に貴重な存在です。
 平成五年三月二五日』
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 石室開口部。
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 斜めから。
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 古墳全体図。
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 石室内部。奥に八幡社が鎮座している。
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 産泰神社。
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 石祠二基。
 何神社なのかは不明だが、左の石祠の裏面には「昭和■八年十月吉日 島田■之助」、右の石祠の裏面には「昭和四十七年一月吉日 嶋田宇之助」と刻まれている。
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