飯田神社(小川町飯田)

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 小川町立西中学校の北西、琴平山の頂に鎮座する飯田神社(比企郡小川町飯田681)。
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 ストリートビューでは駐車場の確認はできなかったので大塚八幡神社に置いたまま歩いて来たのだが、神社入口の前には数台分の駐車場がある。ここに到るまでの道幅は車一台分しかないが、途中で少し広くなっている所もあるので、鉢合わせして立ち往生と言う心配も無い。まぁ、そもそも車はまったく見かけなかったけど。
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 石段を少し上ると鳥居の跡。そばの木の根元には笠木も置かれていた。
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『飯田神社磴道築造記
吾琴平山也者秩父山脈之東端而飯田層巒之一也所其崇祀
為高龗命大物主命菅原道真公如創立年紀雖不可得知其神
徳蕩々其威靈赫々是以四方信仰之徒朝夕不絶迹雖然其參
道險峻紆曲固不易登降也氏子一同患之謀磴道之築造久矣
本年一月募集其資則奮獻進者頗多立得二千餘金直起工造
九階百五十餘級之磴道併修理本社及拜殿課役亦一千餘人
此地又風色絶竒眦望最佳頗以富於烟霞更設神苑植櫻移楓
将以添雪月風花之艶芙仰供降神之降臨俯充賽者之清賞矣
今也磴道告竣工則勒其顛末於石以垂不朽
            石川巖撰并書 曽根多志三鐫』
 九階百五十余と記されているが、小さい段差も含めると石段の数は168段だったかな。それを含めないと160段前後くらいか。
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 拝殿。
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 平成十四年十月造立の狛犬。
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『飯田神社本殿改築記念碑
 この飯田の集落には字中島に永禄五年勧請と伝えられる鎮守の貴布祢神社を始め、字打越に天正三年勧請と伝えられる天神社、字日附田で現在地の琴平神社に大正元年十二月十四日政府の合祀政策により上記三社を合祀し、飯田の集落が一望できるこの琴平山を鎮座地として選定し同時に社号を村社飯田神社と改称したといわれる。
 また境内社は、明治二十七年に地内各所から貴布祢神社境内に集められていた石船神社、津島神社、天手長男神社、稲荷神社、日枝神社の五社が大正元年の合祀の際移転され末社として祀られ、さらに本殿の裏山に二つの祠に祀られている一つは火光天という火防せの神で、もう一つの神は定かでない。
 火光天については、昔から十月の秋祭りの宵の晩に氏子の家から集めた粗朶薪を焚く火祭りが行われている。昭和の中頃一時中止されたがその後間もなく地区内に大火が発生したため復活したといわれる。
 当社はもともと現在地に琴平神社があったことや、三社のうち琴平神社が開運招福の神様として有名であることから通称こんぴら様と呼ばれて毎月十日に行われる月並祭には、開運や商売繁盛のご利益にあやかろうと遠近より参詣者が訪れる。
 合祀以来八十余年の歳月を風雪に耐えてきた本殿も老朽が著しく氏子の中から改築の声があがっていた。昭和六十二年にプリムローズカントリークラブが当地域にゴルフ場開發を計画することになり、同社と飯田区ゴルフ場対策委員会の協定により飯田神社本殿の改築工事が行なわれる運びとなり改築工事は平成四年十月着工され翌五年三月三十一日に落成した。同年四月十一日春季大祭にあわせて遷座祭を挙行し、清水宮司を祭司とし多ぜいの神官を始め建築関係者、近隣の崇敬者、氏子を招いて盛大に行われた。改築にあたりプリムローズカントリークラブを始め多ぜいの崇敬者から多額の浄財を神納いただいたので、諸祭具を新調したほか諸行事を行うことができた。ここに関係者各位に感謝の意を表し神社の由来並びに改築経過を記念碑に刻して後世に伝える。
 平成五年四月十一日
           宗教法人飯田神社 氏子一同
           飯田神社総代表 影山倉造撰並書』

 氏子区域を一望できるとの理由から琴平山頂を社地に選んだとのことだが、周囲を見回してみても生い茂る木々しか見えないので見晴らしが良いとは言い難い。昔はもっと木が少なかったのだろうか。
 貴布禰神社は嘗ては現在の集落農業センターの場所に祀られていたと「小川町の歴史 別編 民俗編」に記されているが、それはここから460m程北東にある飯田集落センターのことだろうか。また、末社の石船神社は明治二十七年まで長福寺の裏山に祀られており、麓にある直径一メートル程の湧水池で御神体の石船を用いた雨乞いがしばしば行われていたのだそうだ。
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 神楽殿。
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 左から日枝神社、稲荷神社・石船神社・天手長男神社、津島神社。右の石碑は昭和十四年秋建立の蠶桑之碑。左奥は納札所。
 日枝神社の覆屋の中には「奉祝再建日枝神社 平成五年四月十日 棟梁 嵐山町大字古里 吉場健一」と書かれた棟札が掛けられている。
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 狛犬。先代様だろうか。
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 火光天。
 左の火光天碑の背面には「醫王山法印宥譽代 願主 當所 柴崎甚五郎」、中央の火光天碑の背面には「納主 影山倉造 平成九丁丑年七月吉日建之 揮毫 岩田紅洋 石匠 関根石材」、右の石祠の側面には「嘉永元星舍戊申六月吉祥日 醫王山法印宥譽代」と刻まれている。ちなみに嘉永元年は1848年で平成九年は1997年。
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 西中学校の北側の道端に建てられた標柱。御神紋は左三つ巴紋であるようだ。
 ストリートビューを見ていて今更ながらに気付いたのだが、ここから180m程北にある小祠はなんだろう? 「小川町の歴史 別編 民俗編」には飯田の芝崎家の裏山にお杓子様と呼ばれる小祠があると記されているが、それだろうか。ちなみに風邪引きに効く御利益があるのだそうだ。
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 標柱から130m程西北の道端に鎮座する青面金剛と猿田彦大神x2(このへん)。
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