白山神社(小川町増尾)

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 小川消防団第二分団第一部の北側に鎮座する白山神社(比企郡小川町増尾32)。隣には曹洞宗増尾山長昌寺(比企郡小川町増尾26)。
 鳥居は昭和四十六年十月の建立。

『増尾の白山神社は、穴八幡古墳などのある八幡台の麓に鎮座しており、増尾の鎮守として信仰されてきた。境内には推定樹齢四○○年という樫の大樹があり、特に信仰や神木としての伝えはないが、昭和五十七年ごろから注連縄を張るようになった。
 社伝によれば、白山神社は大梅寺の開山である円了禅師が勧請した社で、加賀国(現石川県)の白山権現を禅家擁護の霊神として建治二年(1276)二月に遷座し、大梅寺の末寺で神社に隣接する増尾山長昌寺が神社の管理を行ってきたという。「新編武蔵風土記稿」には「今も大梅寺にて社務を司どれり」とあるが、白山神社は大梅寺と関わりの深い神社であることから、形式上は本山である大梅寺の管理下に置かれていたものと推測される。
 神仏分離によって、白山神社は明治三年に長昌寺と分離され、同四年に村社となった。氏子からは「白山様」の通称で親しまれており、所願成就の御利益があるという。また、境内にある八坂神社は、元は白山神社と合殿であったが、昭和五十四年に社殿を新たに造営して別に祀るようになったもので、健康を祈願する参詣者が多い』
(「小川町の歴史 別編 民俗編」より抜粋)

『祭神の菊理媛命・伊弉諾命・伊弉冉命の三柱神を総称して白山権現という。本社は石川県の白山比咩神社で、平安期に天台密僧を中心とする修験により有力寺社勢力に成長していたが、鎌倉末期に神主方と寺家型との祭神論争があり、双方の主張を併せて現在にみる祭神構成が採用された。
 末社は八坂神社と天神社であるが、氏子の記憶によれば、元は本殿の覆屋内に三つの社殿が並んで鎮座していたという。その内の八坂神社は昭和五十四年に、当社の西側に新たに社殿が建立されて移ったが、天神社のお宮の方は本殿から移された後、忘れられてしまった』
(「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」より抜粋)
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 左の石碑は文字が薄くなっており、殆ど読み取れない。
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 狛犬。
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 町指定天然記念物の大樫。
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 拝殿。左には八坂神社。
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 庚申塔と道祖神。
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 勢至堂。

『長昌寺は、猿尾山と号し、曹洞宗に属する寺院である。江戸時代は、大塚村大梅寺の末寺であった。本尊は阿弥陀如来で、境内にある仏堂には行基の作という阿弥陀如来像が安置されている。
 正中年間(1324~26)の創立で、開山は暾嶺邦秀和尚と伝えられているが寂年など詳細は不明である。境内は、本山である大梅寺の開山円了が勧請したと伝えられる白山神社があり、神仏分離が行われる前は、長昌寺が大梅寺に成り代わって白山神社の社務を行っていたと思われる。増尾公会堂ができる前は、白山神社の祭典後の直会は長昌寺で行っていたのも、その名残といえよう。
 長昌寺の境内にある仏堂は「新編武蔵風土記稿」に「阿弥陀堂」と記されているが、現在は勢至堂もしくは「三夜様」と呼ばれている。天保十四年(1843)奉納の灯籠の台座に「献勢至弥陀薬師三尊」とあるため、元来は阿弥陀三尊像を祀っていたと思われるが、薬師如来像は失われている。この勢至菩薩は、商売繁昌などの御利益があるとして広く信仰されており、十月二十三日の縁日にはかつては深谷や行田などからも商人が参詣に訪れたものであったという』
(「小川町の歴史 別編 民俗編」より抜粋)
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 成田山不動明王。
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