諏訪神社(小川町笠原)

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 小川町駅から竹沢辺りまでは国道254号線と東武東上線、八高線が並走しており、それを東西に貫く笠原踏切から西へ向かって行くとやがて正面に駒形神社の鳥居が見えて来るが、その手前で南西に折れると諏訪会館の隣に諏訪神社(比企郡小川町笠原229-4)が鎮座している。
 鳥居は昭和十五年十二月の建立。

『当社は、創祀年代を慶長年間(1596~1615)と伝えられている。信州諏訪から落ち延びて来た武者、小笠原内膳が当地に住み着き、守護神として奉持して来た建御名方命の神体を祀ったことに由来するという。もともと笠原氏は、古代の名族の一つで、全国の各地に進出して活躍した一族であったが、その中心地が信州であり、諏訪大社の神官家の中にも笠原一族が活躍していたことが明らかにされている。したがって、この時の武者が、その流れを汲むものであることは十分に推定できよう。更には、当社の社紋が諏訪大社と同一の「穀(かじ)」であるのもそのことを証する。また、「風土記稿」に「諏訪社 村の鎮守なり、村民持」とあるのは、小笠原氏の末裔が奉祀していたことをうかがわせるものであろう。
 明治四年に村社となり、同四十五年四月、陣家の愛宕神社、栃本の神明社の二社を合祀した。
 なお、当社はかつて寄居町白岩の諏訪神社と小川町奈良梨の諏訪神社と共に「兄弟三社」と称され、近郷に聞こえた名高い神社の一つであった。

 「白蛇は神の使いである」と当地の氏子たちは信じている。古来白蛇は、水神として崇められ、氏子の間では雨乞いが行われ、五穀豊穣が祈願されている。したがって当社では、白蛇がとりわけ大切にされ、粗相があってはならないと、蛇をついばむ鶏は飼わないという習いがあり、今なお守られ続けている。
 当社の祭典は、元旦祭、二月二十五日の祈年祭、十月五日の例大祭である。
(中略)
 当地では、笠原家や桜井家などをはじめとして、正月に門松を飾らないという習いがある。代わりに、家の中の土間に一本の松を立てて正月を祝うのである。これは一説に笠原一族が元は落武者なので、追手の発見を恐れたことに由来するといわれている。しかし、もう一説には、当地が元来製鉄業に関連があり、製鉄に大切な松炭の原木を伐らないことに起因するともいわれる。
 また笠原家では、氏神として宅地内にもお諏訪さまを祀っているが、道路の拡張工事のために社を移したところ、土台から青石塔婆とみられる板碑が出てきている。一般に青石塔婆の造立は中世に始まり中世に終わったとされる。当家が土地に定着した時代の古さをうかがわせるものといえよう』
(「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」より抜粋)

 この辺りは古くは竹沢村と称していたが、正保から元禄年間(1644~1704)の頃に六つの村に分かれ、当地の地名である笠原は小笠原内膳の姓に因んでいるのだそうだ。
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 社号標石と二の鳥居。
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 拝殿と狛犬。
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 普通は神社名を記した額が掛けられているものだが、こちらでは鏡が掛けられている。なにか謂われがあるのだろうか。
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 斜めから。
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 神日本磐余彦尊、大国主命、弥勒大菩薩。
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 天満天神宮、三峯神社、愛宕神社、天手長男神社。
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 末社殿の脇には注連縄を巻かれた石があるが、これはなんだろう?
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