熊野神社(小川町笠原)

IMGS3607s.jpg
 ハイキングコース入口前の休憩所に車を置いたまま、すぐ北側に鎮座する熊野神社(比企郡小川町笠原333)へ。すぐ北側と言っても、一旦東へ100m程向かってから回り込むことになるのだが。

『笠原の熊野神社は、信州方面からやってきて笠原の地に土着した柑名桜井氏が氏神として文禄年間(1592~96)に創建したものといわれている。創建に当たっては、修験の行者が紀州(現和歌山県)の熊野三社から分霊を受けてきたと伝えられ、その時熊野本宮から持ち帰ったという白い石が神宝となっている。また、石段の脇にある行者社と称する小祠は、この行者を祀った社であるという。
 江戸時代には諏訪神社と共に村の鎮守とされ、明治維新後は諏訪神社が村社になったために、熊野神社は無格社ではあったが笠原に住む桜井姓の人々の氏神として厚く信仰されてきた。社殿内には、天保十三年(1842)に「宮再建」をした時の棟札があり、それに飯田村長福寺の法印春乗の名が記されていることから、江戸時代は長福寺が祭祀に関与していたことがうかがえる。
 なお、かつては熊野神社では女人禁止とされ、女性は鳥居のところから上に登ることは禁じられていた。この禁制は、明治三十年代ごろまで厳しく守られていたらしく、当時の女性は鳥居の脇あたりから社殿の方を見上げて遥拝したものであったという』
(「小川町の歴史 別編 民俗編」より抜粋)

 御祭神は伊弉冉命・速玉男命・事解男命の三柱神と倉稲魂命であり、創建以来、桜井一族の氏神として祀られてきたとのこと。
IMGS3611s.jpg
 参拝したのは十日だが、その翌日の十一日が例祭であったようだ。「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」には秋祭りは十月十九日と書かれていたが、多少の変動はあるのだろう。
IMGS3612s.jpg
 天神社。
IMGS3615s_20151015190148797.jpg
 石段の脇にはよくわからないけど板碑のようなもの、と思ったら社号標であるそうだ。
IMGS3640s.jpg
 石段。
IMGS3618s.jpg
 石段の途中右手側に行者社。
 当熊野神社の創建にかかわった行者を祀ったものであるそうだ。
IMGS3634s.jpg
 石段を上った先にはまた石段。ほんの数段だが。
IMGS3631s_20151015195335669.jpg
 拝殿を斜めから。
IMGS3622s.jpg
 末社。
 「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」の境内見取図を見ると山王・稲荷と書かれているのだが、祠は一つしか見当たらない。相殿にされたのか、或いは左の石柱が山王社で右の祠が稲荷社なのだろうか。
IMGS3627s_20151015195336ae7.jpg
 御嶽社。
 翌日が例祭の為、境内は掃き清められているのであまり歩き回るのもアレかなと思い、少し離れたところから。

 この後は靭負の熊野神社へ向かったのだが、そちらは秋祭りの準備の真っ最中だったので、また後にしようと思い撤退。次の神社へ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード