熊野神社(小川町靭負)

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 東武東上線東武竹沢駅の東300m程、曹洞宗竹沢山雲龍寺の裏に鎮座する熊野神社(比企郡小川町靭負343)。
 雲龍寺の標石があるけど、こちらは熊野神社の参道入口。そして左手側には雲龍寺の駐車場。

『竹沢郷一帯は、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて活躍した武蔵七党児玉党の一支族である竹沢氏が開発し、本拠地とした所である。竹沢姓を初めて名乗ったのは、児玉保義の子二郎行高であり、その子孫の右京亮は、足利基氏と謀って新田義興を矢口の渡しで謀殺したことで知られる。当社の北側の山にある平場跡は、この竹沢氏の居館跡と伝えられており、境内には竹沢氏の供養塔といわれる苔生した五輪塔がある。
 靭負の鎮守として祀られてきた当社の南側には、神仏分離まで別当であった雲竜寺がある。寺伝によれば、同寺は、後深草天皇に仕えた竹沢靭負が嘉元年間(1303~06)にこの地に草庵を設けたことに始まるとされる曹洞宗の古刹である。当社の創建の年代は明らかではないが、この寺伝から推察して鎌倉時代のことといわれている。ちなみに、靭負(ゆげい)とは、宮城の警護に当たる官人のことで、一族の中からは、江戸時代に靭負として出世した人物も出ているという。
 昭和三十八年、境内の大杉が町から天然記念物の指定を受けた。この杉は、樹高三三メートル、目通り三・四メートルという大きなものである。昔はもっと大きな杉が鳥居の脇にあり、指定木となっている杉と共に大切にされていたが、残念なことに太平洋戦争後間もなく落雷に遭い、枯死してしまった』
(「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」より抜粋)

 靭負は官職名としては「ゆげい」と読むが、地名や人名の場合は「ゆきえ」と読む。
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 一の鳥居。
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『郷土史案内 平成二十三年(2011)記述
 この記念碑は大正八年(1919)に当熊野神社々殿が改築されたのを記念して設置されたもので、碑の正面には「閲額」(武蔵一の宮氷川神社宮司額賀大直氏)と経過を綴った碑文(撰文社掌根岸学丸氏)を掲げ、裏面にはこの事業に賛画された方々に加え、明治二十三年(1890)宿願の社殿新築がなされた折に尽力された人達をも刻するなど、万事にぬかりが見られず、そしていま……先人達が鎮守の社に掛けた思い・願いを伝えるこんも碑も時を経て百歳を迎えようとしています』
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 拝殿内部と本殿。
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 大山神社、天満宮。
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 竹沢二郎行高を供養する為のものと伝えられる五輪塔。
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 町指定天然記念物の大杉。
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