富足神社(岩野木)

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 大場川上流排水機場の南150m程、大場川に架かる岩野木橋の東側に鎮座する富足神社(三郷市岩野木119)。
 御祭神は面足尊、惶根尊、猿田彦命。
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『市指定無形民俗文化財 幸房・岩野木の獅子舞
 富足神社は社伝によれば、明治四十三年(1910)三月十五日、早稲田村大字岩野木と同村大字幸房の各社を合祀して成立したといわれている。社名は、同村幸房の福富神社の「富」と岩野木の面足神社の「足」を組み合わせて「富足神社」としたと伝えられている。
 獅子舞の起源は、言い伝えによれば、大水に見舞われた時に、三頭の獅子頭が江戸川に漂着し、疫病が流行ったためそれを鎮めるために獅子舞が奉納されたといわれている。
 演目は一庭といい、全部で七庭(花がかり、御幣がかり、かんぬきがかり、弓がかり、網がかり、橋がかり、女獅子がかり)ある。各庭では女獅子、中獅子、大獅子の順で舞い、その後、それぞれのかかりの舞になる。庭により笛の曲が異なり、最後に全ての庭で三頭が神前にひざまずいて終わる。この間、先導役の猿は、猿まね踊りをしながら、見物客と交わる。以前は、十月十五日に興禅寺境内で、翌十六日に富足神社境内で舞っていたが、近年の社会情勢の変化に伴い、十月十五日前後の日曜日を祭礼日として一庭を奉納し、その前日を宵宮としている。
 指定年月日 平成十五年三月十七日』
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には平成十七年十月吉日と刻まれており、社殿建て替えの落慶記念に奉納されたものである。
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『社殿建て替え造営工事竣工記念顕彰碑
 当富足神社は、明治三十九年の勅令第二百二十号に基づき明治四十三年三月十五日に大字幸房福富神社、大字岩野木字大堤添面足神社、並びに同字大堤外猿田彦神社、及び同村地内の稲荷神社三社と香取。稲荷合殿一社の七社が合祀され、福富の「富」、面足の「足」を合わせ富足神社と命名されました。内陣には、金幣二柱、男神像、女神像、正一位稲荷大明神の神璽が祀られています。これらはこの地域に点在分祀していた産土神であり、先人達の信仰の対象でありました。
 また明治四十三年八月の記録的な豪雨により、当地区の殆どが水没する未曾有の水害があり、当時河川を管轄する内務省が江戸川改修工事をするため、当地区内社の移転を余儀なくされるという事情もありました。移転用地は、内務省が氏子総代吉田氏から、大字岩野木一一九番地、面積三百三十坪を譲り受け、富足神社の境内地として提供されました。このような経緯から、大正二年一月二十三日に富足神社の上棟祭が執り行われ、今日に至っています。
 現在までに九十有余年の歳月が過ぎ、社殿の老朽化が進み、最早風雪に耐えることは至難な状態になっていたことから、ごく自然な形で神社を建て替えようとの気運が高まりました。その背景には平成十七年という年は、つくばエクスプレスの八月開通・三郷中央駅の開業に神社の建て替えを合わせようということがあります。また懸案の興禅寺建て替え工事完成にも刺激され、推進する風潮が高まりました。さらに先人達が信仰・崇拝してきた遺物を護持しようという氏子の気持ちが表われた結果ともいえます。
 平成十六年八月建て替え検討会が立ち上げられ、氏子会代表者の全会一致決定、九月建設委員会発足、十月建設常任理事会が設立、浄財の調達等が協議されました。各地区代表有志の資金勧誘には、多額の資金が集まり、更に外溝工事一式及び旧石祠の移設整備、狛犬の建立、手水所等の設備も整えられることになりました。これは、先人達の信仰した氏神様のご霊験とご加護によるもので、当地域の将来への発展と興隆を予兆しており、悦びに堪えないところです。今後とも天壌無窮、五穀豊穣、国土安穏、氏子安全、家門繁栄、所願成就を謹んでお祈りいたします。
 平成十七年に入り、三月八日地鎮祭、四月二十九日上棟祭執行、十一月三日本殿造営工事竣工落慶の運びとなったものです。
 先人達がこの地を生活の基盤と定め、開拓に粉骨砕身、努力して美田を作り後世に残された遺業を称えこれを継承し、ここに社殿建て替え事業の落成竣工に際してご協賛者各位に深甚なる敬意と感謝を申し上げ、碑にその顛末を記し、その名も刻して後世のため永くこれを顕彰いたします。
 平成十七年十一月三日』
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 水神宮x2、申田彦大神、香取神社、天神社。
 左の水神宮は天明六丙午年(1786)、右の水神宮は明治廿一年(1888)三月六日再建。申田彦大神は寛文九己酉年(1669)。香取神社は嘉永四年辛亥(1851)十月建立。天神社は天保五甲午歳(1834)六月再建。
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 青面金剛x2、庚申塔、青面金剛、不明。残った形から見て、馬頭観音だろうか。
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 ちょっとだけアップで。
 左は享保三戊戌歳(1718)九月。中央は享保元丙申歳(1716)十月。右はわからなかったが、冠や武器の造形、鳥の有無などに違いが見られるので、違う時代なのだろう。また左の邪鬼は褌をしめていたり、右は邪鬼が二匹いたりなどの違いも見て取れる。
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 不明、庚申塔x2、水神宮、不明。
 左端は文久二戌年(1862)。左の庚申塔は文政五年午(1822)四月……かな? ちょっと分り難い。右の庚申塔は上の方が破損しており五月としかわからない。水神宮は天明七丁未(1787)八月。右端は天明六丙午(1786)三月。
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