女渕城跡(粕川町女渕)

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 御霊神社の北側に位置する女渕城跡(前橋市粕川町女渕1221)。
『前橋市指定史跡 女渕城跡  THE RUINS OF ONA-BUCHI CASTLE
指定年月日 昭和49年5月1日
所 在 地 前橋市粕川町女渕1221番地1他
 城の要害に広く水濠を用い、東西約200m、南北約450mの広い地域を占める。北から北曲輪、本丸、御霊曲輪(三の丸)、竜光寺曲輪とつづき、全面岸高の河川が自然の周濠となっている。本丸は水濠に囲まれ、東北虎口は土橋で帯曲輪に、西南虎口は土橋で二の丸に、西北虎口が北曲輪にそれぞれ通じる。尚に西曲輪への架橋も考えられる。西曲輪は貯水池を隔てて別に深濠をめぐらし、さらにその西から南へかけて広い地域を囲む外堀、やや離れて西方にも外掘がある。
 伝説口碑に、高野辺家成、南渕秋郷の名があり、足利直義、荒井図書允、沼田平八郎等の名と共にこの城は古文書戦記に登場する城である。戦国時代の平城として貴重な遺構である。
 This castle was built from the 14th to 15th century. It appears in the archives and commentaries on war from that period.』
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 本丸跡は畑になっている。
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 縄張図。
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 女渕城址公園見取図。
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『女渕城跡 前橋市指定史跡
 女渕城は戦国時代に赤城山南麓にあった城の一つ、要害に広く水濠を用いた平城である。
 女渕城は、いつ、だれが城を築いたか詳しくわかっていないが、戦国時代から歴史上に出てくる。赤城山南麓地方の他の城と同じように、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、小田原の北条氏などの戦国大名の侵攻を受け、城主の変遷が多かった。
 城跡は東西二〇〇メートル、南北四五〇メートルの広い地域を占めている。主要部は南北三二〇メートル、最大幅九〇メートルの水濠の東側にあり、低い土居と堀をめぐらして、北から北曲輪、本丸、二ノ丸、三ノ丸(御霊曲輪)、竜光寺曲輪が並んでいる。北曲輪と本丸の東に帯曲輪がある。
 本丸は東西四〇メートル、南北三〇メートルあり、広くて深い水濠で囲まれている。本丸に接する帯曲輪、北曲輪、二ノ丸にはそれぞれ土橋で通じている。西曲輪は本丸の西側の広い水濠をへだててあり、堀をめぐらしている。その先に外濠があった。城の東側は河川が自然の水濠となっていた。
 天正十八年(一五九〇)小田原の北条方の城だったので、豊臣秀吉方の軍勢に攻められ、小田原城落城と同じく、落城し廃城となった』
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 十の字沼。
 釣り禁止の看板があるにもかかわらず釣竿を垂らしている人がいたが、撮影のポイントを変える為にそちらに近付いたら立ち去って行った。禁止行為を行っている自覚はあったのだろうなぁ。
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 本丸橋。
 左奥に御霊神社が見える。
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 西宿沼。
 奥に見える白い橋は曲輪橋。
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 西曲輪跡には門があり、その前にも女渕城跡の標石が建てられているが、橋の手前に立てられた看板を見るに、この先は民家になっているようだ。
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