近戸神社(粕川町月田)

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 近戸神社外宮から東南に1km程、吉沼の南側に鎮座する近戸神社(前橋市粕川町月田1261)。
『村社 近戸神社
粕川村大字月田村字近戸鎮座
祭神 大己貴命、豊城入彦命、大物主命、誉田別命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、少彦名命、
   大山咋命、大山祇命、素盞嗚命、大日孁命、火産孁命、倉稲魂命、菅原道真公、
   保食命
由緒 不詳、明治四十年十一月五日許可本社境内末社十四社(粟島神社、保食社、八坂神
  社、菅原神社、琴平神社、稲荷神社、大山祇神社、筑波神社、大山咋社、疱瘡社、大
  国主神社、赤城神社、秋葉社、神明社)字大光寺無格社近戸神社同境内末社五社(琴
  平宮、神明宮、粟島社、大山祇社、地神社)字柳下無格社大山祇神社同境内末社六社
  (八幡神社、八坂神社、日枝神社、菅原神社、大国主神社、粟島神社)字富士之宮無
  格社神明宮同境内末社四社(絹笠社、琴平神社、大山祇神社、稲荷神社)字下原無格
  社稲荷神社同境内末社三社(菅原神社、愛宕神社、大山祇神社)を合併せり
境内神社 八社
  春日神社、諏訪神社、厳島社、石凝刀売神社、浅間神社、
  妙義神社、妙義社、妙見社、当国十二社
神饌幣帛料供進指定 大正五年三月十日
例祭 陰暦七月一日』

『近戸神社由緒記
 上野国勢多郡月田村者、人皇第十二代景行天皇御宇、当国太守八綱田の王子、彦狭島王の男、御室別命の家人等此地に来住仕り農夫民と成り耕田林園開墾、当地に居住候に附、田村郷、上野風土記に田村郷と号し候此地初の事也
 抑、千鹿戸大明神者、高彦根命、大己貴命、御室別命、少彦名命を祭神とし前記御室別命の官人等の子孫、天田・関口・田村・岡田。建仁三癸亥(1203)年、長峯に前の神々を祭り奉幣仕候、其後、承元二年(1208)壱社を勧請し赤城磐筒雄神、会幣奉り是に赤城山千鹿戸大明神と称し奉る。其後、宝治元丁未(1247)年七月朔日、千鹿戸林内に本社を移す依て此所を千鹿戸の里と称す、社内に御室別命の石碑あり。天田・関口氏、御供米を奉進田を御手洗とす、其後天田子孫、修験、毎月三度奉幣致候。
 当国二宮赤城大明神赤城山御殿に毎年、御饌米を奉るに事り、当社千鹿戸大明神に御興休み致候を古例と称す。其後建治二丙子年、祭礼行事に此赤城川辺に於て身曾気抜神事此時氏子者一同供致し濁酒を此川に流し候此後此川を粕川と唱え候。文和三甲午年月田村惣氏神と相成候也。
(中略)
近戸神社についての伝説(関口茂次郎記)
 赤城神社は、元三夜沢、即ち赤城山の南中腹、御殿と称る所に在り、伝うる所に依れば、往古、豊城入彦命、東国を鎮定し、永々居住し給いし所なりと云う。命のこの地に居住せらるるや、毎年七月一日を以て、天神地祇を奉斎し、祭事の終りに濁酒を川に流し、祭事の完了の信号とせり。命の長女、某姫宮、月田京丸山に邸宅を築きて居ませしが、同日此地にても亦祭事を営み、然る後川流に至り、酒粕の流れ来るを見て、御殿の祭事終了せしことを知るを常例とせしと、依って此川を名付けて「粕川」と謂う。現今粕川村を貫流する川即ち是なり。
 近戸神社は県社赤城神社と同一祭神にして某姫宮の創始せる社なるべく、又近戸と称するは赤城神社に近きが故なるべし。
 以上の古事に依り近戸神社の例祭(旧七月一日なりしも今は九月一日に改めたり)には必ず神輿を舁ぎ、神職、氏子其他信徒数百人、之に供奉して、粕川の対岸に、方一間四尺斗りの石垣の上に近戸神社の石祠あり。神輿を此処に安置し、且つ祠前にて古雅なる獅子舞を奏し、神酒を供奉者に饗し、再び神輿に供奉して帰り来る。此神事を御川隆(おかおり)と云う。
 上野神明法所蔵の正五位上霜川明神と称するもの即ち近戸神社なり。前記御殿の近傍より、赤城神社は現地に移転せしなりと伝え、霜川と称せしは下川の意にて、元三夜沢の辺より流れ来る粕川の下流にある社なるが故に斯く名づけたるものなるべし。元三夜沢に赤城神社の在りし頃は、二の宮赤城神社の神輿毎年一回渡御し、此の近戸神社を休息所とせられしが、今の三夜沢に移転後は、河原浜近戸神社を休息所と改めたりと云う。
 近戸神社内には、往古より虚空蔵菩薩の尊像安置しありしも、神仏混合禁止の際之を分離したり。現今宝物神鏡一なり。
 一説に云う、近戸神社は元、地勝明神と称し、景行天皇の御仕、豊城入彦命の孫、御室別命の家人来りて此地を開き、豊城入彦命の祠を丸山に建立せしに始まると、而して大字月田は耕田を築きしにより築田と称せしが、転じて月田となりしと云う。又、赤城神社の斎田(いつきだ)の転訛なりとも伝う』
(「粕川村誌」より抜粋)

『詳ナラサルモ正五位上霜川明神今称近戸神社ナリ、右ハ上野國神名帳ニ載ル所ノ古社ナリ、今近戸ト称スルハ赤城神社ニ近キカ故也、サテ古ヘ霜川ト号セシハ下川ノ意ニテ、元三夜澤ノ邊ヨリ流ルゝ粕川ノ川下ナル社ナレハナルヘシ、今本村ノ西隅ニ方リテ粕川ノ涘ニ石祠アリ、是ソ近戸ノ本社ニテ當今ノ村社ハ何年度ニカ川邊ヨリ遷セル也、毎年例祭ノ日神輿ヲ川邊ニ渡シ奉リ赤城山ニ向ヒテ祭式アリ、其例古雅ナル獅子舞ヲ奏ス、此ヲ号ケテ御川降神事トイフ、祭神ハ赤城神社ト同シ』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 拝殿。
 近戸神社と記された神額の左側には、蠶影山大神と記された神額が掛けられている。しかし粕川村誌にも境内に設置された由緒書きにも蚕影神社の記述は見当たらない。いや、合祀された末社の中に絹笠社の名があるにはあるが、まさかこれのことではないよなぁ。
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『近戸神社由緒
鎮座地 前橋市粕川町月田1261番地
一、御祭神 大己貴命・豊城入彦命
一、由 緒 当社は東国を鎮定した豊城入彦命の姫宮が字丸山に勧請した社を延暦十三年
     (794)に移築したものと言われている。
      現在の社殿は、鎌倉時代の宝治元年(1247)に造営されたものと言われ、その
     後何度か改築された。
      昔から地域の鎮守神・産土神として信仰されるとともに、赤城神社と同じく
     赤城山信仰による里神であり神仏習合時代は、小沼(粕川の水源)の本地仏であ
     る虚空蔵菩薩をお祀りしていた。
      六百年の伝統を誇る獅子舞と華麗な神輿を舁いでの御川降り神事に伴う粕流
     し神事は「粕川」の由来として有名である。
一、例大祭 八月最終日曜(旧例は九月一日)
一、御神徳 五穀豊穣・家内安全・厄除開運・交通安全・安産祈願
      合格祈願・縁結祈願等
一、文化財等
  日挟流獅子舞(ささら)及び御川降り神事(群馬県指定重要民俗文化財)
  御神輿(前橋市指定文化財)
  石造狛犬(南北朝から室町時代に造られた県内最古の狛犬)
  虚空蔵菩薩像(江戸時代前期の作 木像で高さ四十センチ)
  穴地蔵石殿(旧文部省指定重要美術品)
  赤城塔及び中世石仏群
  野口雨情歌碑
 平成二十一年二月一日』
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 本殿裏手から。
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 社殿西側へ向かうと、獅子舞練習場へと続く石段がある。
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 野口雨情童謡碑。
「近戸ののんのさま さゝらすき さゝらはうたすき 笛がすき  雨情」と刻まれている。ちなみに野口雨情の自筆であるのだそうだ。
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『近戸神社の石造狛犬
この狛犬は、碓氷峠の熊野神社の狛犬とともに石造狛犬では県内で最も古い狛犬です。狛犬は、古代中国の廟所守護として阿吽一対を置いたのが始まりと言われています。日本では、奈良時代の宗風様式の木彫狛犬と鎌倉時代後期と推定される和風様式の石造狛犬があります。南北朝時代になると石造狛犬は畿内各地に見られますが、東国では、中世(鎌倉時代~室町時代)石造狛犬の現在例は極めてまれです。群馬県内では熊野神社とこの近戸神社の二例だけがともに室町時代の和風彫刻です。この狛犬は、他の時代のものと異なり頭部が小さく扁平で童顔をしています。また、巻き毛も丸みがあって穏やかで親しみの持てる像です。以前は拝殿前にありましたが、一部欠損したため新しい狛犬が奉納され、以後現在地へ遷し大切に保存されています』
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 別角度で。
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 狛犬の案内板傍に鎮座する石祠。
 この一基だけは何故か他の末社とは離れてこちらにぽつんと置かれている。
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 獅子舞練習場。
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 練習場の隣に六地蔵殿と赤城塔。その傍には仏様をの姿を刻んだ石もあるが、元は石垣か何かの一部だったのだろうか。
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『粕川村指定重要美術品
 昭和十八年十月一日文部省指定
 石造六地蔵殿
  粕川村大字月田近戸神社境内
 正面と両側面をそれぞれ二区にわけ、一体づつ浮彫りして、計六体を刻んである。背面の銘で暦応五年壬午(1341)二月十五日、幽阿弥陀佛の建立とわかる。全体を堂に見たて屋根は欠損甚だしいが四注造りの型式を示している、石は安山岩である。吉野朝時代の地方石造品の標準になる』
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 末社群。
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『前橋市指定重要文化財 近戸神社神輿
指定年月日 昭和49年5月1日
所 在 地 前橋市粕川町月田1261 近戸神社
 赤城信仰の表徴として数百年の数百年の伝統を持つ特異の神事「お川降り」に奉納の「獅子舞」はこの神輿を奉じて外宮まで渡御する。制作年代は不詳であるが、安政3年、江戸の神輿師が修理し、その後、浦和の大仏師が修覆し、明治36年前橋の仏師が総塗替を行ったという記録がある。本体は高さが約145cm縦横それぞれ約90cm扛棒の長266cm、別に長さ約2mの鉾が付属している。保存や取扱には行き届いた配慮が続けられており装飾の細部まで完全に保たれ、塗装も光沢鮮やかで壮麗荘厳な風格を備えている。地方に数少ない神輿の中で特に重要な工芸美術品である』
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『前橋市指定重要無形文化財 月田近戸神社の獅子舞
 月田近戸神社の獅子舞は、関東地方に多い一人立ち三頭獅子舞でも早い段階の創始で、「近戸神社由緒記」には室町時代の永享五年(1433)に奉納されたとある。獅子舞は九月一日の近戸神社の例大祭で天下泰平・五穀豊穣を祈念して奉納される。社頭での奉納の後、神輿の渡御に従い粕川対岸の近戸神社外宮まで道中を連ねる。外宮は獅子山とも呼ばれ、獅子舞が奉納される間、神官により粕川への濁酒流しが行われる。これら一連の神事は「御川降り」神事と呼ばれ、粕川の名の由来となっている。一行が神社に戻り宵闇せまる頃、「雌獅子隠し」が奉納される。躍動感溢れる舞いで、神事の終了後に観衆を楽しませる余興ともなっている。
 この獅子舞を奉仕する獅子連は、かつては月田近戸組の家の跡取りのみで構成され、口伝により舞いの所作が受け継がれてきた。流派は「天下一日挟流」で、獅子を演ずる「獅子っ子」は十代の早くから獅子連に加わり、年齢を追うごとに「笛掛り」、「歌掛り」へと進み、人生の半ばを獅子舞に奉仕する。この世代を超えた獅子連構成の仕組みが、地域住民あげての協力と共に、昔からの厳粛な芸態を現在まで継承してきた要因となっている。
 平成一四年三月二十六日指定』
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 神社裏手に並ぶ庚申塔と石仏群。
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 近戸神社の南130m程の位置に伏見稲荷大明神が、そして北西500m程の位置には赤城浅間神社があるのだが、この時は気付いておらず、後でストリートビューを見直していた時に気が付いた○刀乙 また後で行ってこよう。

 7月22日追記
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 近戸神社のすぐ裏に蚕影山神社跡地。
 蠶影山大神の神額はこちらにあった蚕影山神社から移されたものであるのだろう。
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『粕川村文化財 月田三ノ二 社家光善寺
 古文書、木像仏、子持曲玉石造物群』
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