天神社(西宮下一丁目)

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 埼玉県道51号川越上尾線の脇、西宮下歩道橋傍に鎮座する天神社(上尾市西宮下1-225)。
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 鳥居の横には案内板が立てられているが、非常に読み難くなっている。
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 境内。
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『天神社 上尾市西宮下一‐二二五
 祭神・・・菅原道真朝臣
 「風土記稿」によれば、宮下の地名は、江戸期まで当村を含む五か村の鎮守であった谷津村の氷川神社が、もと当村に鎮座していたことによるという。ただし、この氷川神社が谷津村に移転した理由については明らかではない。
 当社は旧宮下村の中央にある高台に鎮座している。古老によれば、かつて、この高台には梅や松が生い茂り、木々の枝に子供たちが書き初めの作品を下げたり、花の季節には、大勢の人々が花見に訪れるなど、地元の人々の憩いの場所であった。また、高台の北端からは清水が湧き出し、小川となって、西に三〇〇メートルほど離れた鴨川に注いでいた。この清水は、当地の人々に農業用水や生活用水として用いられたという。
 当社は明治六年四月に村社に列した。昭和十六年に太平洋戦争が始まると、高台の東半分が軍需工場建設のため買収され、多くの木々が伐採された。そのため高台の景観は一変し、北端から湧き出していた清水も枯渇してしまったという。
 その後、県道川越上尾線建設に際して境内地の南半分が切り通しとなり、残された北側に社殿を新築し、境内社なども移転して昭和三十九年に遷座祭を執り行った。
 祭神の菅原道真公は学問の神として崇敬され、親しみを込めて「天神さま」と呼ばれている。
 年間の祭典は正月の歳旦祭、二月の祈念祭、七月の祇園祭、八月の縁日、十月のお日待ちの五回である。
 境内に「稲荷社」「雷電社」「八雲社」「金比羅社」「浅間社」を祀る』
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 左の祠は金比羅社。右は八雲社・雷電社・稲荷社。
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 記念碑。その横には半鐘の付いた火の見櫓。
『埼玉縣武藏國北足立郡大谷村大字西宮下鎮守天神社は徃昔よ里境内三段一歩所有せり然尓明治九年土地改正により其内一段九畝十七歩到裂上地となり國有林尓編入せられたりしか明治四十一年四月九日縁故特賣法令尓據り氏子一同協議の上曩尓國有林尓編入せられたる一段九畝十七歩拂下を出願し金一百二十四圓六十八銭の代償尓て拂下の許可を得たり茲尓於て明治三十一年三月氏子一同にて吉澤金五郎より金九圓尓て買受たる境外地十八歩を併て奉献し以て永也社有地と為し其紀念登志て建碑する毛の也
 大正六丁巳年一月廿五日』
 変体仮名が使われていて少し読み難いが、里=り、尓=に、登=と、志=し、毛=も、である。普通にり、に、と、し、を使っている部分もあるので、どういう基準で使い分けていたのだろうか。
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「明治十五年六月一日許可ヲ得テ創立後自然的破壊セシヲ以テ大正二年六月一日再建ス
  建設主 西宮下 岡田藤五郎」
と刻まれているのだが、なんだろうこれ。案内板には浅間社の名前が記されているのに祠が見当たらないことを考えると、こちらが浅間社なのかもしれない。もしかしたら裏側に回れば浅間社の名が刻まれていたりするのだろうか。うっかりしていたなぁ。
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 辨財天、如意輪観音、青面金剛。
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 不動堂。
 その前に辨財天と如意輪観音。道路に面して青面金剛。
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