八幡宮(北代田町)

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 群馬県道151号線北代田町交差点の100m程南に鎮座する八幡宮(前橋市北代田町323)。

『八幡宮
一、所在地 南橘村大字北代田字八幡
二、祭神  誉田別命
六、祭日  四月十五日、十月十五日
七、境内末社
 琴平宮(大物主命)、秋葉神社(火産霊命)、菅原神社(菅原道真)、
 神明宮(大日孁命)、市杵島神社(市杵島姫命)、罔象女神社(罔象女神)、
 八坂神社(素盞嗚尊)、稲荷神社(豊受姫命、大宮能女命、猿田彦命)
八、由緒沿革その他
 この神社の由緒は詳かでないが、伝説によれば、平安時代の末、後三年の役に清原氏を討って大勝した源義家が守護神たる八幡神を京都の石清水から勧請して祀ったものであると伝えられている』
(「南橘村誌」より抜粋)
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 鳥居の柱には「弘化二乙巳 大正二年十月建之」と刻まれている。始めは弘化二年(1845)に建てられたが、その後、大正二年(1913)に再建されたものであろうか。
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 道祖神と末社。
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 拝殿。
 石燈籠には文久三癸亥年(1863)四月吉日と刻まれている。
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 斜めから。
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『八幡宮じげん堂の由緒
八幡様は武神特に源氏と関係の深い神である各地に多く祀られているが北代田の八幡
宮にも古い伝説が残平安時代の末期奥州征伐に成功して朝廷に勢力を得た源氏の名将
八幡太郎義家が後三年の役に清原氏と戦つて大勝の後各国々に八幡を勧請した当国で
本社がそれに当るというその後平氏が盛んになるに及んで源は四方に散じ賴朝義経の
兄弟も伊豆奥州と離れて機をうかゞつていたが兄弟の母常磐御前が今の荒牧に居つた
時に八幡宮の由緒を聞かれ祖先の武勇にあやかり源氏再興の祈願をこめた処果せる哉
頼朝が伊豆国に於て北条時政の援助を得て源家再興の旗を挙げ続いて義経も奥羽より
戦に参加して之と協力し遂に天下を平定したその後大願成就の礼拝の際御鎧と金の鍔
口とを献納したというが後に神仏分離の時に寺に移されたが盗難に遇つて現在では皆
無となつた又一説に常磐御前が義経を尋ねて奥羽へ行く折に北代田のあるお堂で衣を
着替えて八幡宮に参拝し源家興隆を祈願されたともいう現在は衣の着替堂を訛つて
じげん堂と呼んでいる
  昭和五十七年七月吉日』
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『八幡宮の祭神
 当八幡宮の祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)応神天皇である。祭神は「武神」で護国の神として祀られた。年代は御手洗(みたらし)の石碑によると、享保九年(一七二四年)と刻まれている。
 現在の様な社殿の築造は、凡そ八〇年後の享和二年(一八一二年)である。以来北代田の氏神として敬われてきた。時代の変遷と共に邑(むら)を天変地異から護り五穀豊穣と弥栄(いやさか)を祈願する神として祀られている。
 平成二十四年三月八日』
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 神楽殿。
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 境内末社。
 右端の祠は金刀比羅宮。
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