神明宮雀大神(青柳町)

IMGS0689s_20160525213802965.jpg
 赤城白川に架かる雀橋の北東に鎮座する神明宮雀大神(前橋市青柳町975-2)。
 川縁の遊歩道から鳥居までの距離は150m程とやや長めの参道だが、社殿東側の駐車場からだとあっと言う間。

『神明宮
一、所在地 南橘村大字青柳字神明
二、祭神  大日霎命
      武甕槌命、誉田別命、少彦名命、菅原道真、吉備彦命、素盞嗚尊
六、祭日  四月十六日、十月十六日
七、境内末社
 秋葉社(賀都知命)、厳島神社(市杵島姫命)、富士社(木花咲耶姫命)、
 日枝神社(大山咋命)、大宮社(大宮姫命)
八、由緒沿革その他
 神鳳抄によれば「上野国内宮青柳御厨、布三十段百二十丁、建永符八十丁」とあるのはこの青柳であり、神明宮は青柳御厨の庤跡であろう。この神社は明治四十四年四月に許可を得て、本社の境内末社二社(春日社、八幡社)及び字宿西の無格社雀神社、同境内末社四社(菅原神社、春日神社、竜神社、八幡宮)、字宿東の無格社八坂神社を合併して現在に至っている』

『雀神社
一、所在地 南橘村大字青柳字宿西
二、祭神  少彦名命
四、境内末社
 菅原神社(菅原道真)、春日神社(武甕槌命)、
 竜神社(吉備彦命)、八幡宮(誉田別命)
五、由緒沿革その他
 この神社の由緒は明らかでないが、古来、はしかや疱瘡の神として崇拝され、明治四十四年四月に鎮守神明宮に合併された後も、「青柳の雀様」として近隣に信仰篤い神社である。

 八坂神社
一、所在地 南橘村大字青柳字宿東
二、祭神  素盞嗚尊
四、由緒沿革その他
 この神社は文化十年三月に勧請され、特に七月十四日の祭礼には「青柳の祇園祭」として近隣に知られた神社である。明治四十四年四月に鎮守神明宮に合併されたが、今もなお天王祭りは盛大に行われている』

『雀神社(青柳)
 青柳の雀様として有名な雀神社は青柳字宿西に在り藁葺きの間口三間、奥行四間の建物であったが明治四十年に鎮守神明宮に合祀の節、石の鳥居も移された。祭神は少彦名命であり古代神話で知られている諸病平癒の霊験著しい神である。特に小児の麻疹、疱瘡の神として往昔より崇敬多く四月二十五日には盛大な例祭が行われるが、この雀様にも一つの伝説が伝えられている。
 昔この村を一人の旅人が「ハシカ」にかかった子供を抱いて通りかかった。旅人はあまり子供が泣くので近くの山に行って休んだ。この山には小さな御堂が崩れかかっていたが、信心深い旅人はそれを修繕し、何も供えるものがないので携えていた僅かばかりのいり豆を捧げて子供の麻疹がなおるようお願いした。しかし子供はなかなか良くならなかった。旅人は自分の疲れ果てた身体のことも忘れて熱心に信心し、その子供が全快した時には既に死んでしまっていたという話が残っている。
 この旅人の死んだ所へ雀大神という神社を建て「ハシカ」の神として旅人の捧げたと同じいり豆を上げて麻疹の難から免れるといわれている。現在でも人々の信仰篤く四月の例祭には近郷の参詣人で非常に賑っている。

 大宮様(青柳)
 青柳の大宮様は夜泣きの神様である。子供が夜、泣きつづけて寝られない家では大宮様に御灯明をあげて祈願すると夜泣きをなおしてくれると云われている。この大宮様にも伝説が残っている。
 昔、この部落に親切な信心深い夫婦が住んでいた。家は貧乏であったが何等不満もいわず真面目に働いていたが、在る時、子供が夜になると泣いてばかり居て家の人々も非常に困っていた。医者に見せるにも近くに医者はなく、弱りきっていると、在る夜、どこからともなく一人の神様が現われて、泣いている子供の頭をなでてくれた。すると今まで火のついたように泣いていた子供が急に泣き止んでしまった。親達は非常に喜んでその神様に灯明を上げて御礼を述べた。
 それ以来、子供の泣いている家には屹度、この神様が現われて子供の泣くのをだましてくれたという。
 後の人々が最初に神様の現われた家の所にお宮を建てて大宮様と名付けて崇拝し、以来夜泣きの神様として信仰されている』
(「南橘村誌」より抜粋)
 この大宮様とは、こちらの神明宮の境内社にある大宮社のことであろうか。それにしても、大宮様の言い伝えは霊験灼かと言った感じがあるが、雀様の方はどうなんだコレ。この話だけ見るとあまりありがたく無さそうな気がしないでもない。
 ところで神明宮に雀神社と八坂神社が合祀された年だが、南橘村誌には明治四十年と四十四年の二つの記述があり、上野国神社明細帳には明治四十年と記されている。どちらが正しいのだろうか?
IMGS0770s_20160525213801587.jpg
 二の鳥居。
 柱には天明二壬寅年季秋吉日と刻まれているので1782年の造立。
IMGS0777s_20160525213801a34.jpg
 三の鳥居。
 平成四年十二月吉日建立と刻まれている。大体二十四年前か。
IMGS0678s.jpg

IMGS0759s.jpg
 拝殿。
IMGS0639s.jpg
 斜めから。
IMGS0762s.jpg
 本殿。
IMGS0649s_201605252234084bf.jpg
 雷電宮。
 南橘村誌や上野国神社明細帳には境内社に雷電宮の名は見当たらなかったが、しかし実際にあるのだから、それらが発行された後に合祀されたのだろう。
IMGS0663s.jpg
 末社群。
IMGS0661s.jpgIMGS0656s.jpg
 天王宮と辨財天女。と言う事は八坂神社と厳島神社か。
IMGS0665s_20160525224338f47.jpg
 末社。
 文政二己卯稔三月吉祥日建立と刻まれているので1819年の造立であることはわかるのだが、何神社なのかはわからない。

IMGS0745s.jpg
 神明宮南東の橋の傍には忌竹に挟まれた塞神三神真璽。禦神事と言うものだったかなこれ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード