金丸神社(金丸町)

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 金丸町公民館の北側に鎮座する金丸神社(前橋市金丸町152)。

『金丸神社は、金丸町の公民館北側の高いところに鎮座している。この神社は金丸の赤城神社と言われ、氏子の人たちの厚い信仰と平和が守られている。
 祭神は、大峯神社の分霊で、建御名方命、菅原道真公、誉田別尊の三神である。
 昔は、十二様といわれた守り神様が、書上商店前の十字路にあり、この神様の御神体は、明治十年頃より持主不明の石造物で、大きさは高さ二尺五寸位(約八十センチ)の三重組立で出来ており、素材は軽石で造られ、山の神として祀られていた。
 当時、金丸より軍隊へ入隊や除隊のときは村中でこの神様の前で武運長久を祈り送迎したそうである。しかし、この神様は、昭和四十年頃、造園ブームの時に何者かに持ち去られてしまった。
 金丸神社の由来は、戦後の昭和二十四年に、マッカーサー元帥より「日本の各地にある戦争に関連した神社や記念碑は人目につかぬ所に撤去せよ」との通達が出された。この対応策として旧芳賀村では真先に日清、日露以来の戦争で戦死された将兵の御霊を祀った英霊殿を他に移動しなければならなくなり、当時の芳賀在郷軍人会では大変困っているとのことを聞いて、金丸町の有志は、直ちに、村の神社として頂きたいと当局に申し込んだところ、渡りに舟と大喜びで金丸地区へ移すこととなった。その礼金として当時千円を包金として当局へ支払ったとのことである。
 金丸では村中の人が大喜びで一戸当り一人の出役で、英霊殿を「丸通」の大型トラックを頼み、赤城県道廻りで運んだが、途中、赤城の一鳥居が通過出来ず(当時の鳥居は小さかった)農協の庭を借りて金丸まで運んだ。
 その他、移動のために、電線などを数箇所も切断するなど大変な苦労を重ね、現在のところに神社を祀ることが出来た。
 以来、三十六年が経過し大分腐蝕が進んだので、昭和六十年、時の自治会の発案で、大改築が行われ立派な社殿ができ、村の人たちは大変な喜びと、より豊かな信仰心を高めることができた』
(「芳賀村誌・芳賀の町誌」より抜粋)

 当神社は金丸の赤城神社と呼ばれるが、御祭神は大峯神社から分霊した建御名方命、菅原道真公、誉田別尊の三柱で、社殿は元英霊殿のものであると……赤城神社の要素がまるで無いじゃん!? 十二様がこちらに移設されたとかならともかく、それも盗まれちゃってるし。
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 丸太造りの階段。
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 社殿。
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 斜めから。
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