神明宮(小神明町)

IMGS2269s_201606152005069ad.jpg
 小神明町公民館の隣に鎮座する神明宮(前橋市小神明町578)。

『群馬縣管下上野國南勢多郡小神明村字宮本 村社 神明宮
祭神 大日孁尊
由緒 不詳
   大正四年十月三十一日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシ
  テ指定セラル
境内末社 九社
 稲荷神社  祭神 倉稲魂命
 諏訪神社  祭神 建御名方命
 嚴嶋神社  祭神 市杵嶋姫命
 八幡宮   祭神 譽田別尊
 西宮神社  祭神 大國主命
 大山祇神社 祭神 大山祇命
 菅原神社  祭神 菅原道真公
 春日神社  祭神 天兒屋命
 鹿嶋神社  祭神 武甕槌命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)

『小神明字宮本に鎮座する。大日るめの命を祀り創建は明らかでないが、もと南隣りの、上沖之郷との総守であったという。承応元年善勝寺住僧円海という人の世話で、上沖之郷へ分神し、以来本村の鎮守になったと伝える。(南勢多郡村誌)境内に九座の末社がある。稲荷神社・諏訪神社・厳島神社・八幡宮・西宮神社・大山祇神社・菅原神社・春日神社・鹿島神社がそれである。東西二丁二間五分、南北三十四間、境内四百十三坪、というので東西向きに長い参道があったと思われる。
 社殿は、十尺に八尺の銅板切妻屋根の上屋の中に、二尺七寸五分に二尺二寸四分の柿葺神明造があり、十六尺の十尺五寸の拝殿との間を、十尺の幣殿で繋ぐ。本社の有名な灯籠流しの、器具材料置小屋三棟は、昭和二十年八月三日戦災をうけて、一棟を残して焼失、残りの一棟は、現在境内西北の一隅に、材料も殆ど失って物置となっているが盛時を顧みて惜しまれる』

『神明宮は、金の幣束三本が御神体であったが、その内の一本を承応元年に上沖町の神明宮の御神体として分神した。「拝見候ニ付写置者也于時明治九年丙子一月」従って神明宮と同神とみてよい。祭りには上沖町では大相撲を行ったので「小神明の大灯籠と、上沖の大相撲」とよく言われたそうである。
 その日は、露天商も沢山出て賑わった。この祭りは明治二十四年に行ったものが有名で、近郷、近在から大勢の参拝者が押しかけたために、村内の橋が三箇所も落ちたとのことである。この祭りが、最後となったようである。
 昔は、神明宮の境内に神明小学校や神明寺があったが、神明寺は昭和二十年八月の戦災で焼失してしまった。
 神明寺の境内は、南北に長く面積は四百三十坪(一三六三平方メートル)を有し、昭和四年に銅板葺切妻造りに改築した。昭和三十年には神社と並列して立派な公民館が建設され、更には、広場も完備されて名実共に地域の文化センターとして効率的に活用されている』
(「芳賀村誌・芳賀の町誌」より抜粋)
IMGS2265s_2016061520050590f.jpg
 鳥居の柱には「大正拾五年壹月吉日」と刻まれている。大正十五年は1926年。
IMGS2272s_2016061520050542f.jpg
 拝殿。
IMGS2278s_20160615200504bef.jpg
 社殿裏手から。
IMGS2281s_20160615201941399.jpg
『小神明燈籠祭り由来記
 小神明の地は平安時代以来伊勢大神宮の神領細井御厨に属し 古来より伊勢神明宮を勧請し村の鎮守としてきた 神宮文書には細井御厨は伊勢国二見郷来迎院相伝の御厨となっている 小神明の地名の由来もこの御厨の関係から生じたものであろう
 神明宮境内にかつて弁天島と呼ばれる小山あり 周囲には清流を引水した池があった 干魃に悩まされた先人はこの島に弁財天の石祠を祭りその加護を願った 石祠には神明宮の別当存須の代に村中氏子相謀り寛延二年四月の吉日を選び造立したとある
 基礎石には波間に浮ぶ弁財天の化神の大蛇が刻まれている この弁財天の祭りは神明宮祭日に続き十月十七・十八の両日とされ 数年毎に大祭あり慶応元年・明治五年・同十三年・同二十四年の記録がある 明治二十四年の記録によると十月一日から村民挙げて燈籠づくりが開始され 村内四組の㞮しものは弁天組の弁天様の玉取り 宮西・寺西両組は相対して富士の巻狩り 中間に廻組の川中島合戦とある 各組毎に燈籠とそれに入れる人形を作り弁天の池に浮べた 流水に浮ぶ燈籠人形は巧みに操られ 見物人は東京方面からも訪れる程であった 大祭で消費する油は前橋の油相場にまで影響するといわれた
 昭和六十年三月小神明地区土地改良事業に伴い当社境内地も整備され 弁天島はその姿を消した 人々この燈籠祭りの盛時を後卋に伝えんとし ここに由来の一端を記した次第である
   昭和六十年五月吉日』

 「南橘村誌」に記された細井神社の由緒には、「細井御厨は上細井附近の地と考えられる。依って御厨関係の神明宮が存在したであろうことは想像出来るが明らかでない」とあるが、この細井御厨の神明宮とは小神明の神明宮であるように思われる。上細井町と小神明町は隣同士でもあるし。
IMGS2287s.jpg
 末社。
 左の石祠には梅鉢紋が刻まれているので菅原神社であろう。右の石祠が弁財天を祀った石祠と思われる。
IMGS2293s_201606152113595fe.jpg IMGS2290s.jpg
 左の石祠にも蛇の頭のように見える部分があるが、梅の方が目立つ。右の石祠は左右からにょきっと飛び出しているのが蛇なのだろう。鱗のようなものも刻まれていることであるし。
IMGS2325s.jpg
 半ば草に埋もれた末社群。
IMGS2302s.jpg IMGS2311s.jpg
 弁天池跡。その脇に溶岩で造られたと思われる塚らしきものがあるが、これはなんだろう。その上には石燈籠の宝珠部のみが置かれ、それには丸に片喰紋が刻まれている。
IMGS2317s_201606152152289b7.jpg

IMGS2337s_20160615215226e94.jpg IMGS2340s.jpg
 四方梵字の刻まれた石塔の一部と、その傍らに……なんだろう、地蔵尊か馬頭観音だろうか。童子と刻まれているようにも見えるのだが。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード