神明宮(上沖町)

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 小神明町神明宮から南東へおよそ500m、上沖町公民館の傍に鎮座する神明宮(前橋市上沖町90-1)。
 県道76号線脇に「大國主神社入口」と書かれた看板が設置されているので、そちらからの方がわかりやすいか。

『神明宮(上沖)
由緒 古記録によれば、天平神護二丙午年(七六六)歳社殿を造営す。その後乾元元壬寅年(一三〇二)歳社殿を改造。応仁二年(一四六八)焼失。文明三年(一四七一)社殿を新築、その後承応元壬辰年(一六五二)事変のため焼失、その年直ちに社殿を新築し小神明より御神体を奉遷した。この時は承応元年壬辰歳応鐘十六日とある。応鐘とは陰暦十月の異称である。村人は再び火災に遭わないようにと境内に杉、松、しいの木等を植え、社殿を守ることにした。現在の御神木の大木である。
 更に享保二丁酉年(一七一七)四月に改築、その後天明六丙午年(一七八六)に拝殿に祭神大国主神を奉遷の際社殿を改修。明治五年区画制定の際十二ケ村の郷社に列せられ、明治四十二年の甲子に幸塚村字宮西の赤城神社を合併、大正三年村社となる。
 また、大国主命は沖の大黒様と称されている。大黒様は徳川家光の手造の像と伝えられる。旗本の岩本内膳朝臣正利の女が殿中に仕えたおり将軍より拝領し、家法となっていた品という。天明三年の浅間山噴火以来、領地では飢饉や凶作が続き領民は大変困窮していた。領主は福利増進を願い天明六年十二月家臣の菊田弾兵衛に指示してこの地に祀らせたと伝えている、以後領主の崇敬は厚く江戸より勧進相撲がきて興行を行った。以後、六十年ごとに大祭が行われ、大正十三年の大祭の前日には神明宮の前の田圃で競馬が行われにぎわった。
祭神 大日霊女命・大己貴命
祭日 七月十六日(塞神祭)、十月十六日
境内 神社は小高い丘の上で本村の中央に位置し、境内は二百五十一坪ある。参道の中ほどに御影石の神明鳥居があり、三十九段の石段を登りつめると両側に元治二年、慶応元年、明治二十五年の御神燈、紀元二千五百三拾九年、大正二年の手洗石がある。本殿裏には、天正元年、寛政八年、明治五年、昭和三十八年の年号を刻む九基の石宮が集められている。本殿に向って左側には、木造瓦葺の社務所、右側には木造瓦葺間口一間半、奥行一間半覆屋に入った天満宮が祀られている。本殿は木造板葺の一間社流造で中に、木造の菅原道真公の坐像が祀られる、なお、現在の覆屋は昭和五十九年十月新築された。
 記念碑は北側に一列に、日支・大東亜戦役記念碑。日露戦役凱旋記念碑、大沢七太郎記念碑、赤入道川改修記念碑、境内復興記念碑が並ぶ。なお、境内に建っていた木造萱葺の舞台は昭和四十一年台風で大きな被害をうけたため壊された。また、境内南には土俵が造られてあった。ここでは毎年地方相撲が行われた。江戸時代は、江戸の佐渡ケ嶽大五郎などがきたほど相撲がさかんなことが、残っている絵馬や番付版から知ることができる。しかし、昭和四十三年土俵はかたずけられ、現在ゲートボール場になっている』
(「桂萱村誌」より抜粋)

『群馬縣管下上野國南勢多郡上沖之郷字宮下 村社 神明宮
祭神 大日孁命 大穴牟遅神 火産靈命
   菅原道真公 大穴牟遅神 大物主命 火産靈命 大己貴命
由緒 不詳
   明治四十年十二月十六日許可ヲ得テ字上ノ山ニ祭祀セル無格社秋葉神社ヲ合祀シタ
  リ
   明治四十二年四月十日許可ヲ得テ本社末社天神社、琴平神社及本村大字幸塚村字西
  ニ祭祀セル村社赤城神社、仝末社秋葉社、菅原神社、琴平社ヲ合祀シタリ
   大正三年四月十三日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシテ
  指定セラル
境内末社 四社
 山神社  祭神 大山祇命
      由緒 不詳
 八坂神社 祭神 須佐之男命
      由緒 不詳
 八幡神社 祭神 誉田別命
      由緒 不詳、明治十年九月本村字根際ヨリ移轉
 星宮   祭神 天之御中主神
      由緒 不詳、同年同月本村字西新井ヨリ移轉』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 鳥居。
 柱には「昭和十年十月」「納主 前橋市 小野里亀澄」と刻まれており、鳥居の両脇に下げられた提灯には「甲子大祭記念」と書かれている。翌日が甲子祭であったのか、境内ではゆるゆると祭りの準備が進められていた。
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 石段を上った先に……なんですかコレ。
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『境内復興記念之碑
當社主祭神大日孁命ハ遠ク天平神護以前ヨリ奉齋スト傳
フ攝社大國主命ハ徳川家ノ重臣岩本内膳正朝臣正利ニヨ
リ天明六丙午歳十一月江戸ノ地ヨリ縁リアル當所ニ奉遷
セラレタルナリ沿革如斯ク神徳灼然トシテ郷キイ尊崇深
キハ固ヨリ神意ヲ渇仰シ賽スル者絶ニルコトナシ
偶昭和十年七月五日暴風雨ノ爲メ未曽有ノ惨禍ヲ蒙リ古
杉数樹社地建物ノ倒壊破損甚ダシク直チニ復興ヲ企圖ス
幸ナル哉崇敬者ノ絶大ナル賛志ヲ得浄財ヲ寄スル者六千
有餘ニ及ブ翌丙子年早春全ク其ノ工ヲ竣セリ此ニ依リテ
益々敬神ノ美風ハ顯揚セラレ衆庶悉ク神明ノ加護ニ倚賴
シテ彌廣キ惠ノ霧ニ潤ヒ壽福ノ慶ヲ重ヌ可シ謹ミ記シテ
以テ後昆ニ傳フト云爾
 昭和十一年十月甲子日』
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 拝殿。
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 神明宮の社殿右側の祠は天満天神宮。
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 社殿裏手に並ぶ末社群。
 左奥から不明、不明、不明、十二大神、不明、八阪神社、八幡神社。
 右の石祠三基は三峯神社、三峯神社、不明。
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 大澤七太郎の碑。誰ですよ?
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 御神木。
『椎の木 御神木
由来
 承応元年(一六五二年)徳川四代将軍家綱の時代 社殿を新築した際記念植樹された椎の木は今年(平成二八年)にて樹齢三六四年になりました
 長い年月上沖町及び近隣の市町村の繁栄を静かに見守って来ました。これからも大切な御神木として敬いたいものです』
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 御神木を囲むように置かれた石のベンチ。
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 この石に腰を掛けて碁を打っていたりしたのだろうか。もう一つには奉納者の名前らしきものが刻まれているが、はっきりとは読み取れない。
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