横室古墳公園(富士見町横室)

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 十二山の西側に位置する横室古墳公園(前橋市富士見町横室)。
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『陣場・庄司原古墳群
 陣場・庄司原古墳群は富士見村大字横室字陣場・上庄司原・下庄司原地区にあり法華沢川右岸の台地上に位置していました。この地区一帯は富士見村でも有数の遺跡包蔵地で、平成元年度県営ほ場整備事業富士見地区に伴って発掘調査が行われました。(陣場・庄司原古墳群)
 古墳公園が作られた上庄司原1号古墳周辺も縄文時代前期と平安時代の集落跡で、遺跡名を上庄司原東遺跡と言います。
 発掘調査を行った古墳は7基で、墳丘の形状はすべて円墳です。墳丘の規模は直径20m前後が5基、10m前後が2基です。ほとんどの古墳の墳丘の回りに葺石が積まれ、その外側に周堀が掘られていました。石室の前には墓前祭を行ったと思われる、前庭という施設が設けられているものも多くありました。
 石室はすべて両袖型横穴式石室ですが、石室の構築方法や石材の加工方法・材質などには様々なものがあります。多くは赤城山の山石(輝石安山岩)をほとんど加工せずに積み上げただけの、自然石乱石積石室ですが、入口などの一部に切り石を用いているものもあります。さらに、榛名山二ツ岳から噴出された(6世紀)転石(角閃石安山岩)を用いた削り石積石室や截石切組積石室もあり、この古墳群の中で古墳時代後期から終末期の石室の変遷がたどれる貴重な古墳群です。
 遺物はほとんどの古墳が盗掘されていましたが、武器類(大刀・小刀・鉄鏃)、馬具、飾類(耳環・ガラス小玉・帯金具)、土器類(須恵器の𤭯・高坏・平瓶・甕、土師器の高坏・坏)などが出土しています。
 古墳群の作られた時期は6世紀後半から7世紀後半にかけての間と思われます。
 横室古墳公園は現地保存した上庄司原1号古墳のまわりに上庄司原2号古墳と上庄司原4号古墳の石室を移築し、あわせて保存整備を行ったものです』
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 上庄司原1号古墳。
 今の時期は草に埋もれてしまうので、冬場の方が形がはっきりわかるようだ。
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『上庄司原1号古墳
 上庄司原1号古墳は、陣場・庄司原古墳群の中で最も残存状況のよかった古墳であり、現在地にそのまま保存し、墳丘の復元などの若干の整備を行ったものです。
 古墳は、法華沢川に望む台地の崖端に築かれた、径約14m(テラス状の基壇を含めると約24m)の円墳で、その周辺には一部分を除いて周堀が巡っています。墳丘の周囲には葺石が積まれています。
 石室は、赤城山の山石(輝石安山岩)を用いた自然石乱石積みの両袖型横穴式石室で、旧地表面を掘り込んで作られています。石室の前面には、墓道状の前庭が設けられており、墓前祭が行われたと思われます。
 玄室の中からは耳環や大刀、鉄鏃、馬具等が出土し、人骨、歯も残っていました。(複数の遺体が埋葬されていたと思われます。)前庭とその周辺からは、須恵器の𤭯、甕、土師器の坏等が出土しています。
 整備は、後世の耕作などによって崩されていた墳丘に若干の盛土を行い、盗掘などによって抜き取られていた玄室と羨道部の天井石を補っただけで、多の部分はほとんど調査した時のままです。なお、周堀の部分には砂利を敷いて範囲を示しています。
 平成4年3月 富士見村教育委員会』
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『上庄司原4号古墳
 ここから約400m南西にあった古墳の石室を移築し、若干の石材等を補って復元整備を行ったものです。
 墳丘の形状は円墳で直径約16m、北側から西側にかけて周堀が巡っていました。
 石室は上庄司原2号古墳と同じ榛名山給源の角閃石安山岩を用いたもので、形状は他の古墳と同様に両袖型横穴式石室ですが、石材の加工方法・石室の構築方法は、截石切組積という当時の最高技術を用いて造られた石室です。
 石材には加工を行うときや、石室を構築するときの目安とした「朱線」が残っているものがあります。また、石材の中には内面に「水磨き」を施しているものもあり、これらの石材を「間知積み」しています。
 石材の内面形状は基本的に方形ですが、意識的に凹凸の部分を作って石材を組ませています。
 石室はすでに盗掘されていましたが、鉄製の鞘金具と銅製の帯金具(巡方・丸鞆)が出土しました。このうち、銅製の帯金具は截石切組積石室としては群馬県内で初めて出土したものです。
 截石切組積石室の古墳はこれまでわずか約30基が知られているに過ぎませんが、上庄司原4号古墳の石室は、前橋市の宝塔山古墳や吉岡町にある南下A・E号古墳の石室などとともに、その中でももっとも秀麗な部類に属しています。

 上庄司原2号古墳
 上庄司原1号古墳の西側に隣接していた古墳の石室を移築して調査時点の出土状態に復元したものです。
 墳丘の形状は円墳で、直径約20m、南側の一部分を除いて周堀が巡っていました。
 石室は、榛名山二ツ岳噴出(6世紀)の角閃石安山岩の転石を用いた削り石積み両袖型横穴式石室です。玄室は間仕切りによって奥室と前室に区切られ、奥室の床面のほうが一段高く造作されていました。
 石室は構築後間もなく左壁から崩壊したと思われ、遺物がほとんど盗掘されずに残っていました。
 遺物は、奥室から直刀・小刀が、前室から須恵器の子持ち𤭯・平瓶・長頸瓶・高坏・土師器の高坏・ガラス小玉・耳環・馬具(轡・鉸具)・鉄鏃が出土しました。また、羨道部から土師器の小型甕、石室の前から須恵器の甕が出土しています。
 須恵器の子持ち𤭯は、東日本では出土例が数少なく、大変珍しく貴重な遺物です。また、中小の古墳では、遺物が盗掘されずに残っていることも少ないため、埋葬当時の副葬品の内容がわかる貴重な古墳です。
 平成4年3月 富士見村教育委員会』
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 上庄司原2号古墳。
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 上庄司原4号古墳。
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 十二山々頂の赤城神社が見える。
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 十二山々頂から見た横室古墳公園。
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