福守大権現(五代町)

IMGS3595s.jpg
 五代南部中央公園の200m程東に鎮座する福守大権現(前橋市五代町)。
 五代神社からだと650m程。

『木福様の話
 木福様の御尊体は、板碑に刻まれた梵字の「キルク」「サ」「サク」の三字が大きな石面に刻まれている。キルクは、阿弥陀様、サは勢至様、サクは観音様で三尊仏を祀ったものである。境内に福守様、長さ三尺二寸、直径一尺三寸、重量四十余貫の巨砲が路傍にさらし出されている。この御神体を路傍にさらし物にしておいては風教上面白くない結果を招来するから速やかに取片付けのお触れが出たのが明治維新のことで、崇敬措く能わざる村の連中も命令にそむくこともならず五代神社に隣接する墓地へ木福様と福守様とを一緒に埋没してしまった。古老たちは、「あんな御無体の真似をしくさって何か不吉のことでもなければよいが」と顔をしかめて語り合ったが、それは、案にながわず悪病が拡まり、「五代悪病、芳賀肺病」などと悪宣伝されるようになった。こうなると地頭も糞もあるものか、場合によっては一揆を起すまでだと決意して墓地から掘り出し、月光冴える旧十月十四日を卜して木福様復活の大祭が行われた。
(中略)
 木福様は、雄渾なる石棒を御神体とする福守様と雑居するようになってから彼我混同され福守様の分身のように待遇されるようになってしまった。だから、木福様の祭りの夜はあたかも福守様の秋祭りのように思われて、木福様の方はなおざりにされ勝ちであるといわれる。
 古老町田栄之助さんの話によると、福守様の方は、明治維新に淋病に悩んだ男が、おのれの病気を癒したい一念から建て込んだもので、別に木福様と身寄り縁者の関係はない。木福様は、明治九年頃世話人だったという。私の先代の話によると、新田義貞公が、赤城山麓で戦争の時守り本尊である木福様(キルク様)を新田四天王の一人である篠塚伊賀守に背負わせて戦場を馳せていたが、さすが力自慢の伊賀守も、五代の丘陵へ来て背中から芝生へ下ろしてホッとした瞬間、どうしたことか力抜けがして、再びかつぎ出せなくなってしまった。やがて、起る法螺貝の響き、盤木の音、いわずと知れた攻防秘術を練って転戦の用意を知らせの合図だったのである。さア伊賀守も困り抜いてしまった。「出陣を今少しくお待ち下され」と弱音を吐くのも男らしくない。「拍子抜けがしてかつぎ出せない」とあってはさらさら男らしくないと身もだえをしていたのを見てとったのが、義貞公だ。「自分に背負いきれぬ代物をそちらに託したのが身の不覚、背負うには及ばぬ。この地に奉納して出陣しよう……」との御託宣に喜んだのは伊賀守とゆい緒の深い木福様をおいとけぼりにされた村人だった。時は仲秋満月の夜十月十四日だったので、爾来村人はその夜の歓楽に甘美するよう習慣づけられたのだとかたったという。(柳芳太郎氏著「猟奇の上毛」による)
 その霊験について、福守様を五代神社の近所に運ぶ時、一青年が「このくらい俺が一人でかついで行く」といってかつぎ出した。ところが、途中で重くなったためか肩から落してしまったため中央から割れてしまった。
 この青年は後に甲種合格で兵隊に行って足をけがしてしまって兵役免除となって帰郷した。しかし、この足のけがが兵隊での病院でも治らず帰されたためか、どこの医者にかかっても治やなかった。途方にくれて神様に見てもらったところが「福守様のたたりであるから福守様をもとのようにして信仰せれば治る」といわれた。当時割れた物を重ねて、御祈祷をして戴いた。あら不思議なるかな、さすがの難病もすっかり治った。この霊験を知った村人はコンクリートと鉄筋とをもってすっかり修繕して、今までは南部だけがお祭りしたものを五代全体の祭りとなった。大東亜戦争中警察の方から注意があったので、それから後はお祭りの日以外は、横にして埋められてある』
(「芳賀村誌・芳賀の町誌」より抜粋。明らかに誤字のような部分もあるが、中略部以外は原文のままである)
IMGS3630s_20160719190600b50.jpg
 福守大権現。
 背面にも文字が刻まれており、中央の「天皇陛下萬々歳」という部分は読み取れたのだが、他は薄くなっていて少し読み取り難い。
IMGS3648s_2016071919055943b.jpg
 阿弥陀三尊板碑と木福様。
 後ろの御神木は一度切り倒そうとしたことがあったのか、根元辺りに大きな切込みの痕が残っている。
IMGS3614s_20160719194716d37.jpg IMGS3613s.jpg
 板碑にはキリーク・サ・サクの種子が刻まれているとのことなのだが、ちょっとわかりにくい。
 その隣の木福霊神には補修された痕が見える。
IMGS3643s.jpg
 「芳賀村誌・芳賀の町誌」に掲載されている写真には福守様の御神体である金精様が写っており、それは祭りの日以外は埋められているとのことである。
IMGS3631s_20160719190558cd0.jpg
 左奥から青面金剛を表すウンの種子と「八幅輪 万延元庚申 十二月朔日」と刻まれた石碑、庚申塔、如意輪観音。
IMGS3626s.jpg IMGS3624s.jpg
 なんだかよくわからない石。
 ただの石にしてはなんだか置き方が不自然なような気がするので、何らかの意味があるんじゃないかなぁと思うのだが、よくわからない。
IMGS3593s_201607192030373bb.jpg
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード