神明社(浦和区岸町二丁目)

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 調神社から南東へ400m程、青木医院のそばに鎮座する神明社(さいたま市浦和区岸町2-6-8)。
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 鳥居。
 柱には「昭和十三年五月建之」と刻まれている。
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 拝殿。
 その前には福だるまとやらが設置されているが、なんだろうこれ。
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 本殿。
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『神明社 御由緒
□ 御縁起(歴史)
 岸町三丁目の中山道沿いに鎮座する調神社は、社伝によると崇神天皇の御代の創建で、勅命により伊勢神宮の斎主倭姫命が当地に来て、この岡を選び調物を納める倉を建て、武蔵野の初穂米や調の収納所と定めたとされ、主祭神は伊勢の内宮と外宮と同一の天照大御神と豊受比賣命の二柱で素盞嗚命を配祀する。
 当社はこの調神社の南東に当たる岸町二丁目に祀られており、祭神は天照大御神の別称である大日孁貴命である。口碑に「当社は調神社の末社である」ということから、その創建には調神社とのかかわりがあったと考えられる。「郡村誌」に当社は「永仁年中(一二九三-九九)の勧請」とのみ記され、その経緯については明らかでない。調神社にかかわる社であるとするならば、同社の創建の古さから推して、当社の創立も鎌倉期の永仁年中にまでさかのぼるのは至当であろう。
 別当は「風土記稿」によると、浦和宿玉蔵院末の真言宗福寿寺であった。「郡村誌」に既に見えないことから、明治初年に廃寺になった模様である。
 古老の記憶によれば、昭和初めの当社境内は雑木林や身の丈ほどの笹薮で覆われていて、その中に数本の老杉の大木がそびえていた。この老杉の根元に祀られていた石祠が当社で、氏子から「神明様」と呼ばれていた。昭和十年の社殿建設を機に本格的な整備が進められた。
□ 御祭神
 ・天照大御神 ・豊受比賣命 ・素盞嗚命
□ 御祭日
 ・例祭…八月第三日曜日』
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『当神明社は今を遡る六百七十余年前の永仁六年藤原朝臣忠勝がここに一宇本堂を建造し伊勢皇大神宮(御祭神大日孁貴命)を奉斎せられたのが抑々の由来である
時移り社は全く荒廃せるを昭和十年地域の敬神先覚有志は多くの浄財を得て社殿を創建し鳥居を築く
今や三十周年を迎えるに当り吾々は先輩の志を継ぎ斜面に盛土し境内を拡め社殿を移築修復す 更に雨覆殿を新築するなど益々神徳を奉仰し神威の昂揚に努める又神苑を子供遊園として整備し広く庶民の福祉を祈念するものである
 昭和四十年八月十九日』
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