大藪八幡宮(吉岡町南下)

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 群馬県道25号高崎渋川線バイパス大藪交差点の北東300m程の位置に鎮座する大藪八幡宮(北群馬郡吉岡町南下)。

『群馬縣管下上野國西群馬郡南下村字大藪 村社 八幡神社
祭神 品陀和氣命
由緒 不詳
   昭和十八年五月十四日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシ
  テ指定セラル
境内末社 二社
 雷電社  祭神 大雷神
 久斯神社 祭神 久斯神』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
 久斯神社は旧疱瘡社であり、昭和十八年一月五日に許可を得て改称したようだ。

『上八幡宮
場所 南下城山、南中腹
祭神 応神天皇(誉田別命)、神功皇后
由緒 この神社は南下元八幡にあった。伝えによると一一八六(文治二)年三月源頼朝が
  六十六ヶ国の総追捕使となったとき、藤原八郎を桃井荘の地頭とし、八郎は桃井姓を
  名乗って南下元八幡の高台に住んだ。その後新田義重の子吉包が桃井氏の跡を襲い、
  桃井氏を名乗って元八幡に住み、その子孫尚義が源氏の氏神として祀ったものが、こ
  の神社のはじまりと伝えられる。明治元年元八幡から現在地に遷宮し、石祠を木造の
  神殿に造りかえた』
(「吉岡村誌」より抜粋)
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 拝殿。
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 斜めから。
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『町指定重要無形文化財 大藪獅子舞
 指定日 平成十五年五月二十二日
 大藪の獅子舞は、大永三(一五二三)年桃井播磨守が守刀とともに八幡神社に奉納したのが始まりといわれる。
 流派は、稲荷流佐々良獅子で、一人立ち三頭連れの舞である。頭は獅子でなく、枝角を二本つけた竜で、手甲・タツケ・白足袋・草履の衣装で、腰につけた太鼓を打ち鳴らして舞う。舞の振りは、「剣の舞」を始め三十通り、歌が二十一通り、通り笛が六通りあり、威勢のよさと、振りの多さは近隣にないものである。又、新井村や溝祭村の獅子舞も、大藪の人が教えたと言われている。
 平成十七年三月』
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 末社。左右は生洌大神と御嶽山。石祠三基は不明。
 生洌大神と言う名には聞き覚えが無いが、「吉岡村誌」によると、南下城山には鹿島大神、香取大神、生潤大神、堅牢地神、上八幡宮の計五社の旧無格社があるとのことで、生洌大神とはこの生潤大神のことだろうと思うのだが、詳細は記されていないのでよくわからない。
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 末社。石祠二基と堅牢地大神。
 堅牢地大神は昭和十五年に紀元二千六百年記念として建立されたと「吉岡村誌」に記されているが、それ以外のことについては不明。
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 左奥には金剛寺へ続く道が伸びている。
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