下八幡宮(吉岡町南下)

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 下八幡公会堂の南隣に鎮座する下八幡宮(北群馬郡吉岡町南下847-3)。

『群馬縣管下上野國西群馬郡南下村字下八幡 村社 八幡宮
祭神 品陀和氣命
由緒 不詳
境内末社 二社
 神明宮  祭神 大日孁命
 秋葉社  祭神 火産霊命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)

『下八幡宮
場所 南下下八幡
祭神 応神天皇誉田別命、神功皇后
由緒 鎌倉時代、一二二五(嘉禄元)年足利義胤が桃井荘の地頭となるに及び、源氏の氏
  神である八幡宮をこの地に勧請したものと伝えられる。一説によると一六九六(元禄
  九)年九月十六日の創建とも伝えられ、一九一八(大正七)年九月十三日神饌幣帛料
  を供進する神社に指定された』
(「吉岡村誌」より抜粋)
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 鳥居の柱には「正徳二年壬申十月吉日」と刻まれているので1712年の造立。
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には「昭和五十一年九月吉日」と刻まれたプレートが埋め込まれている。
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 鞘殿。
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 少し引いて。
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 末社。
 左から猿田彦大神、不明、相満山大権現、不明。「上野国神社明細帳」には神明宮と秋葉社の二つがあると記されているので、この二つの石祠がいずれかなのだろう……と言いたいところだが、隣に設置された案内板には祭神不明と記されている。
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『町指定重要文化財 下八幡宮の石祠
 指定日 平成十三年十月二十二日
 下八幡宮は、この地方の豪族桃井氏が南北朝時代に源氏の守り神として勧請したと思われる。本殿の西北裏に祀られるのがこの石祠で、祭神は不明である。
 石祠は高さ一〇二cm、棟幅八六cm、奥行九九cmで、棟の鬼面は向かって右が高さ一八cm、幅一〇cm、左が高さ一六cm、幅一二cmと鬼面の大きさでは県下屈指の作品と考えられる。
 銘に「寛永十弐乙亥十二月吉日」とあり、江戸時代前期の一六三五年の造立である。鬼面が風雨で荒れて能面の翁のような顔立ちである。
 平成十四年十月』
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 鬼面。
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 御嶽山大神・八海山大神・相満山大神。側面には「明治十六年歳在癸未十月良晨」と刻まれている。明治十六年は1883年。
 その左には「開闢普寛尊」。右には「三笠山刀利天 武尊山 意羅山 御山諸天神」。なぜか後ろに八幡宮の神額が落ちている。
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『町指定重要無形文化財 下八幡宮獅子舞
 指定日 平成十五年五月二十二日
 下八幡の獅子舞の起源は、下八幡から野良犬(前橋市清野町)に獅子舞が伝えられたのが、慶長年間(一六〇〇年頃)と言われるので、室町時代まで遡ると思われる。又、獅子頭の塗り替えが安永六(一七七七)年に行われたとの記録もある。
 流派は、極めて少ない関白竜天流。頭は雄獅子が二本、雌獅子が一本の螺旋状の角を持つ。舞の列は、万燈持ち二名・山伏・棒使い二名・師匠・笛頭と並び、先獅子とカンカチ・雌獅子とオカメ・後獅子とヒョットコが続く。獅子の両側に十名程の笛を従える。
 演目は一番組・二番組・三番組に大別され、舞は十通りを越える。
 平成十七年三月』
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 大けやき。
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