三宮神社(吉岡町大久保)

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 吉岡町の代表的な神社の一つである三宮神社(北群馬郡吉岡町大久保1)。
 鳥居の柱には「平成十八年三月吉日建立」と刻まれている。地図上ではこの鳥居の南西側すぐ傍に火防神社があり、ストリートビューでもそれを確認できるが、現在その建物は無くなっている。三宮神社境内に火防神社があるので、合祀され遷されたか、或いは新築準備中なのかも知れない。

『群馬縣管下上野國西群馬郡大久保村字宮 村社 三宮神社
祭神 日子穂々出見命、宇迦之御魂神、少毘古那命
   菅原道真公、豊玉毘賣命、須佐之男命
由緒 不詳
   明治四十一年三月二十六日許可、本社境内末社八坂社、及仝大字字十二無格社稲荷
  神社、並ニ字上町無格社菅原神社、仝境内末社一社及字下町無格社菅原神社、仝境内
  末社一社ヲ合併セリ
境内末社 四社
 猿田彦社  祭神 佐田彦大神
       由緒 不詳、明治十年五月本村字十二ヨリ移轉
 八坂社   祭神 須佐之男命
       由緒 不詳、同年同月同村字乙溝祭ヨリ移轉
          明治四十一年三月二十六日許可本社ヘ合併
 大山祇社  祭神 大山祇命
       由緒 不詳、同年同月同村字乙溝祭ヨリ移轉
 雷電社   祭神 大雷神
       由緒 不詳、同年同月同所ヨリ移轉』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 二の鳥居。
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『町指定重要文化財 三宮神社
 指定年月日 昭和63年2月22日
 所 在 地 吉岡町大字大久保字宮1番地の1
 当社は、天平勝宝2年(750)の勧請と伝えられ、また「神道集」(14世紀頃の天台系説話集)に「女体ハ里ヘ下給テ三宮渋河保ニ御座ス、本地ハ十一面也」とあり、伊香保神社の里宮とする説がある。
 総欅造り銅板葺の本殿は、嘉永元年(1848)の改築で明治以降その他の社殿も増改築された。
 御神体は一木彫りの十一面観音像で、像長90cm、右手は施無畏に作り、左手には宝瓶を持つ丸木彫りの地方的素朴なもので室町時代の作と推定されるが、江戸末期に塗り変えられて極彩色である。
 例祭には、獅子舞、太々神楽が奉納され、大祭には大久保の各町内から屋台(山車)が曳出されて賑う。
 昭和63年10月』
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 拝殿。
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 斜めから。
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 社殿西側から。
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 狛犬。
 台座には「大正十年四月吉日」と刻まれている。
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 神楽殿。
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『三宮神社由来記
吉岡村大字大久保字宮の地に鎮座する三宮神社は天平勝宝二年創祀の伝承をもつ古名社で彦火々出見命豊玉姫命少彦名命の三柱の神を奉斉している当社を三宮と称する所以は三柱の神を祭るためでなく上野国三之宮であったことによる九条家本延喜式神名帳には上野国三之宮は伊賀保大明神とあり当社はその里宮の中心であったと考えられる抑古代当地方の人々は榛名山を伊賀保山と称しその山頂を祖霊降臨の聖地と崇め麓に遥拝所をつくり里宮とした上野国神名帳には伊賀保神が五社記載されてありその中心の宮を正一位三宮伊賀保大明神と記している当地三宮神社は伊賀保神を祭る中心地であったため三宮の呼称が伝えられたのである近くに大古墳群の存在はそれを裏付ける当社を伊賀保神とする由縁はその祭神にもよるが本殿に安置される十一面観音像のあることがこれを証する南北朝時代の延文年中編と推定される神道集所収の上野国三宮伊賀保大明神の由来には伊賀保神は男体女体の二神あり男体は伊香保の湯を守護する薬師如来で女体は里に下り十一面観音になるとある当社は古来十一面観音像を御神体として奉安してきたのである慶應四年神仏分離令が発せられると全国各地で神社内の仏教関係遺品が破却された当地の先人は古来三宮神社の御神体として奉安してきた十一面観音像を秘仏として密かに遺し今日に伝えたのである昭和六十年秋の関越高速自動車道開通に伴い当社境内地の一部も道路編入の止むなきにいたりこの機会に氏子一同相計り社殿および境内の整備につとめ由緒ある当社の由来を後世に伝えんとし石碑に刻んだ次第である
   昭和六十一年九月吉祥日
      群馬県史編纂委員近藤義雄撰文
          三宮神社氏子一同建之』

『町指定重要無形文化財 溝祭三宮神社獅子舞
 指定日 平成十五年五月二十二日
 天正年間(一五七三年頃)からあったと伝えられる獅子舞で、頭が毛獅子で作られているのが特色である。
 この獅子舞は稲荷流佐々良獅子と言い、毛獅子三頭で舞い、氏神三宮神社の祭典に奉納されてきたものである。又、日照り続きの時には雨乞い獅子として、船尾滝に登り雨乞い祈願をした事でも知られている。
 春秋の神社の祭には、笛の音で白足袋姿の前獅子・中獅子・後獅子が腰に太鼓を付けバチで打ちながらカンカチを交えて舞う。演目も「宮廻り」や「剣の舞」など十数種の舞がある。
 平成十七年三月』

『町指定重要無形文化財 三宮神社太々神楽三楽講
 指定日 平成二十三年十一月二十九日
 三宮神社は天平勝宝二(七五〇)年に創祀されたとの伝承を持つ古名社である。
 ここ三宮神社に伝わる太々神楽は、一時途絶えた期間もあったが、昭和二十二(一九四七)年に地元有志により復活された。それ以降永きにわたり継承される伝統芸能である。吉岡町に唯一伝承される貴重な神楽である。
 神楽の演目には、「戸開の舞」、「天浮橋の舞」など日本国の成り立ちに係わるものや、「蛭児の舞」、「天狐の舞」など農耕と深い関わりを持つ舞がある。その内容や舞う姿は、大変に見事で興味深いものである。
 神楽は、毎年四月の第一日曜日に開催される三宮神社春祭で、奉納されている。
 平成二十六年二月』
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『竹内邦造翁壽碣銘
竹内邦造翁本姓小淵氏為同村小淵竹次郎第二子以萬延元年十二月十日生為竹内氏所養當是時竹内氏家道甚衰翁深慨之决挽回之志夙夜勤若勞役大勉先是天明中近郷下村有馬場重久者深究養蠶之術創火力飼育法有遺著翁讀其著述有所感以為興家益國莫之若更學一倉儀平薪火育法闔郷蠶家多效之淂益甚多且為収入得村會議員關係村治者數年令茲翁年六十門人反村民胥謀欲健寿碑以不朽翁名来乞余文余曰翁謙譲温厚而興家益國是可以傳也乃作之銘々曰
  駒寄之郷 踞郡中央 土肥家冨 桑麻茂良
  翁之勤勉 治産有常 及老汲々 家門益昌
 大正八年三月十二日  高橋諄信就撰并書』
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 火防神社と万葉歌碑。
 火防神社の中には神輿などが見えるので、元は神庫として使われていた所に火防神社を遷し祀っているのだろうか。

『万葉集のこの歌がうたわれた時代(一四〇〇年前)は、榛名の二ツ岳の噴火がくり返されて、榛名山は恐ろしい怒りの山で怒ツ穂(イカホ)と呼んで、神として恐れあがめ信仰の対象としていました。この里宮として三宮神社(イカホ神社)がおかれてました。この歌の伊香保風は榛名山からふき下す空つ風です。
 ここで行われた歌垣でうたわれた歌として祖先への敬愛の念をこめて石に刻みます。
 揮毫者の伊藤信吉氏は前橋市元総社町出身の詩人・評論家です』
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 末社群。
 四基並ぶ石祠の右端は大神宮。他は不明。「上野国神社明細帳」によれば末社は猿田彦社、八坂社、大山祇社、雷電社の四社の筈なのだが、うぅむ。本殿裏に猿田彦大神と刻まれた石塔があるから、こちらの石祠三基が残りのいずれかなのだろうか。
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