多田神社(南台三丁目)

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 真言宗豊山派如意輪山宝福寺の脇に鎮座する多田神社(中野区南台3-43-1)。
 多田神社公式サイトもある。
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『多田神社御由緒
 御祭神 贈正一位鎮守府将軍多田満仲公
 満仲公は第五十六代清和天皇の御曽孫多田源氏の祖神である。幼少より文武両道に秀で、国家に貢献されたる偉勲功績は、わが国史に燦然として輝き武門の棟梁たる勅諚を賜わり国家鎮護の大任を果たされたるのみならず、或は沼地を開拓して広大なる田畑を造成し、或は河川を改修して農耕の拡大に寄与し、併せて源家興隆に確固たる基盤を築かれた。またその威力は関東に及び、特に雑色村の文化向上に尽された事蹟は尠少ではない。仍って時の里人の敬慕浅からぬものがあった。その第二子は歴史上著名な賴光公であり第四子賴信公は平忠常を討ち、関東を平定した。続いて賴義・義家の父子二公は前九年・後三年の両役に大軍を率いて奥羽の地に赴きその凱旋の帰途、寛治六年(一〇九二年)祈願達成の報賽として、大宮八幡宮に神鏡を献じ、別当宝仙寺を建立すると共に、大宮八幡宮造建の時の八幡宮神供の雑色料の地である当地に、日頃淑敬する満仲公の祠を建てたところ、雑色村の鎮守社として住民に崇敬せられて来たということが「武蔵名勝図会」に記されている。新編武蔵風土記稿には「多田権現稲荷合社」と記されている。慶長二年社殿を再建、更に江戸後期の文政年間修復を加えた。明治十四年改築しまた明治四十四年にも改築したと社史に記してあるが、太平洋戦後、氏子の急増により昭和三十五年社殿を改築したのが現在の社である。
 昭和五十四年八月吉日
      多田神社宮司 細野喜八記』
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 狛犬。
 台座には「明治十四年三月建之」と刻まれているので、1881年のもの。
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 多田稲荷神社の鳥居。
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 多田稲荷神社。
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 阿夫利神社・御嶽神社・榛名神社三社合祀社。
 この三社の組み合わせは先に参拝した大山神社と同じだが、この辺りではこの三社は深く信仰されているのだろうか。
 鳥居前の案内板には以下の文が記されている。
『雑色村と多田神社
 現在の南台の地域は、古くから雑色(又は雑色村)とよばれていました。そしてこの多田神社を雑色の鎮守としてあがめ現在にいたっています。
 当社は、約九百年前、寛治六年(一〇九二)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮二丁目)に参詣のおり、先祖多田満仲を奉祀したことにはじまると伝えられています。したがって当社の創建の時からすでに雑色の地は大宮八幡宮とのつながりがとりわけ深く、天正十九年(一五九一)の検地帳にも「多東郡大宮之内雑色村」と記され、大宮領に含まれていたことがわかります。また、鎌倉街道と伝えられる古道が両神社〜雑色地域の間に通じていたともいわれています。
 「雑色」とは、皇室の文書や道具類を納める倉を管理したり、皇室行事の実施を担当する役所で働いていた人々のことで、その所有地であったことに由来する地名とする説と、大宮八幡宮の造営に働いた人びとの所有地であったことが地名の起りであるとする説があります。
 昭和五十八年三月』
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 東の鳥居。

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 宝福寺。
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『筆塚碑
 この「筆塚」の字は、戸村直衛という人が書いたもので、明治の初めに建てられたと考えられます。
 戸村氏は、明治三年、雑色村に「戸村塾」を開いた人で、中野区最初の公立校「桃園小学校」の教師も勤めました。身分・経歴は明らかではありませんが、家塾開業願や小学校設立伺書などによれば、若いころに幕府の関係者から、数学・書道・洋学を学んだ知識人であったことがうかがえます。
 明治五年に学制が発布されるまで、庶民教育は江戸時代から民間の塾や寺子屋で行なわれました。明治初め、中野にも戸村塾など数か所の私塾があったといわれています。明治四年当時、戸村塾の生徒は二十五名で、教場は宝福寺や村内の民家をあて、学制発布後も存続し、私立戸村小学校から桃園小学校雑色分校へと引き継がれました。
 この筆塚は、師弟の使用した毛筆を納めて供養し、学業上達を願ったものと考えられます。これは、中野の初等教育を物語るゆかしい記念碑です。
 昭和五十六年三月』
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