三郎谷稲荷神社(中央五丁目)

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 TAIRAYA春日部中央店の東側に鎮座する三郎谷稲荷神社(春日部市中央5-4)。
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 鳥居。
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 拝殿。
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 左から庚申供養塔、青面金剛(正徳三癸巳年(1713)十一月)、青面金剛、天満宮、雷電宮(嘉永四辛亥年(1851)二月)。
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『高田宮水田移管記
高田宮ハ我三郎谷地方ノ開發恩人タル高田三郎氏ノ
霊ヲ稲荷神社ノ境内ニ祀レル私設神社ナリ組合員
種村六藏氏ノ高祖父谷村長次郎氏水田六畝歩ヲ奉納
シテ祭祀ノ料ニ供セシヨリ世々之ヲ管理シテ六藏氏
 代ニ及ビ其収益ヲ以テ水田壹及歩トナセリ然ルニ
其水田ハ依然トシテ種村家ノ私有財産トシテ登録セ
ラレタルニヨリ六藏氏ハ之ヲ高田宮ニ移管セントセ
シニ高田宮ハ公式ニ登録セラレタル神社ニ非ザルヲ
以テ法律之ヲ許サズ是レ巳ムヲ得ズシテ稲荷神社ノ
名義ヲ假用シテ其所有権ヲ移セル所以ナリ後世ニ至
リ事實ノ不明ニ歸シ高田宮ノ祭祀ヲ忽ニセンコトヲ
恐レ茲ニ其顛末ヲ記スモノナリ
    昭和五年三月十日   谷原新田三郎谷組』
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 左から石碑、三郎谷之碑、高■■、王地経■生美銕……で、いいのかな?
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『埼玉県春日部市大字上谷原二一二番地田一段歩は仝所二一四丁五四五番地板橋正治の所有地にして親田ともども当該地区開発者高田三郎氏より継承し現在に至るも此の度春日部市の開発事業として区画整理が行はれるに当り道路敷として使用する事を市当局の要請に答へ承諾した
  昭和四十年七月吉日
             板橋正治』
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『三郎谷之碑
東距嵓築城一里所曰谷原邑惟■寛文巳酉東都人
高田三郎中邨重政倶乞 縣宦攸㠯辟易也當旹有
司三分厥墜一㠯爲牧墜二則㠯賜二子焉故今㠯東
西穪之也三郎居東邑重政處西邑各㠯艸創之功領
厥邑人民聚楽到于今受其賜也呂覧曰民從■贒如
二子豈可弗謂贒矣哉后三郎有故厺東邑終不知其
攸卒也今東邑穪三郎谷者乃是三郎之舊墜也頃者
東邑長平君美憫其有功而無後與西邑長藤存義謀
將建碑虖厥墜㠯表之廼介冨子遐請子文夫叓曠世
而相感或待其人而后顯故身懐瑾瑜名或煙滅而弗
穪此史遷攸歎也而今吾有感于斯舉因叙厥叓鑱焉
天保四秊昭陽大荒落蕤賔 嵓築潜龍源親㥧撰
            ■壁鶿鷺飛鳥回書
                野口通衛列』
 IMEパッドでも出て来ない文字がいくつかあるので、実際の碑文とは文字が違う部分もある。城はu29ae8、則はu207fb、終はu239e9、不はu2001a、世はu2ff1-u5341-u4e16、回はu2ff4-u353e-u53e3が碑文と合致する。■の部分は異体字で探しても出て来なかった。
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 こちらの石祠が高田三郎氏を祀る高田宮なのかと思ったが、どうも違うようだ。二文字目の途中から表面が剥がれて読み取り難いが、少なくとも田ではない。義に似ているようにも見えるが、はて……?
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