東八幡神社(粕壁東二丁目)

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 大落古利根川に架かる八幡橋の南側に鎮座する東八幡神社(春日部市粕壁東2-16)。
 参道入口は一宮交差点の傍にある。
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 例大祭案内板と由緒書き。
『東八幡神社
当神社は誉田別尊(第十五代応神天皇)をお祭りする春日部市内有数の古社で現在の氏子区域(旧町名)は、元町、本町、三枚橋、一宮町、大砂、東町、川久保及び太田の八町内であります。東八幡神社は、古き昔から氏子の人々を始めとして近郷近在の多くの人達から下の八幡様の愛称で親しまれ篤い崇敬を集めてまいりました。
口碑によると京都「男山」に鎮座する「石清水八幡宮」からの分霊を勧請し、氏神としてお祭りしたものと伝えられており、家内安全、商売繁昌、五穀豊穣、厄除開運の神として広大なご神徳を輝かしめております』
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 二の鳥居。
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 参道右手側には樹齢約六百年と伝えられる御神木の大欅。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 狛犬。
 台座には「文久三年八月十五日建」と刻まれている。文久三年は1863年。
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『改修記念
     八幡神社 宮司 松島  寛選
当八幡神社ハ 古来 我々ノ産土神トシテ 常ニ尊崇シテ来タ所デアツタガ第二次世界大戦コノカタ極端ナ思想ノ混乱ト社会ノ不安定トニ見マワレ 敬神崇祖ノ念ハ トミニ地ニオチソノ結果カ社殿ハカエリミラレズイタズラニ朽チ 神苑モマタ荒レルニマカセル有様トナツテシマツタ
戦後十五年ヲ経 産業モ振興シ 生活ニモユトリヲトリモドシタ今日 コノアリサマヲ見ルニ忍ビズ 氏子総代相ハカリ社殿神域ノ復興ノ議ガオコリ 遂ニ 全員ノ賛同ヲ得テ八幡神社改修奉讃会ヲ組織シ 氏子ヨリ浄財ヲ募ルコトニタツタ氏子ノ方モヨク協力シタノデ 昭和三十五年三月起工ノ運ビトナリ 昭和三十五年八月竣工ヲ見ルニ至ツタ
コレト併セテ 市ノ計画ニヨル 參道側溝ノ改修 參道一部ノ舗装モ行ワレ更ニ玉垣ノ増築モ加ワツタノデ環境モ整備サレ神苑ノ面目ヲ新タニシタ ヨツテココニ由来ヲ記ス
   昭和三十五年十一月三日建之  石原儀平書』
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 稲荷神社。
 左側の石塔は庚申塔。側面に「春日部驛松樹里」「天保甲辰十一月立」と刻まれているので天保十五年(1844)の造立。
『松の樹稲荷大明神
 祭神 宇迦之御魂神
 京都伏見稲荷を勧請する。農工の守護、商売繁盛の神として信仰厚く、神使は白狐と伝えられる。
 古時松ノ樹村の氏神として祭られていたが、明治末期の頃、政府の神社統合令にもとづき、当境内に合祀される』
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 松の樹稲荷大明神案内板の前に雷電宮。嘉永二己酉(1849)十一月の造立。
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 雷電神社。
『川久保雷電神社
 祭神 別雷命
 群馬県板倉の雷電神社を勧請する。
 古時川久保地区の氏神として祭られていたが、明治末期の頃政府の神社統合令にもとづき、当境内に合祀される』
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 榛名山満行宮大権現。
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 松の樹稲荷神社と川久保雷電神社の間に猿田彦大神と神倭伊波礼比古命。
 猿田彦大神は側面に「春日部驛三枚槁」「天保十五年十月立」、台座正面に「勿言勿聴勿視」と刻まれている。三猿が文字で刻まれているのは初めて見たかも知れない。
 神倭伊波礼比古命は神武天皇の別名なので、こちらは遥拝所だろうか。
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 弁天社。
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 左奥から浅間神社、大杉神社、大国玉神社。
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 豊玉稲荷大明神と天満宮。
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 青面金剛、猿田彦太神、猿田彦大神、大青面金剛、石碑。
 青面金剛、猿田彦大神、石仏、天神宮。石仏の台座には「春光童子 幻理童子 俗名八兵衛」と刻まれているが、供養塔のようなものだろうか。
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 大正記念碑。
 その後ろには力石が並んでいる。
『三之宮卯之助の力石
 卯之助は、江戸時代の文化四年(西暦一八〇七年)越谷市在の三之宮に生まれ江戸時代の見世物興行の力持ちとして日本一になったこともあり、牛一頭を乗せた小舟を持ち上げるのが売物だったと言う。
 この一〇〇貫目(三七五kg)の力石は、卯之助が八幡神社境内で興行したさい、持ち上げた記念に奉納されたものである』
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 左から天保十己亥(1839)八月朔日六拾五貫余、天保三辰(1832)二月六拾貫余、天保三辰二月百貫余。右端は文字が薄くなっていてわかりにくいが、おそらく三十二貫目かな。三之宮卯之助の名が刻まれているのは天保三年の二つ。
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