稲荷神社(武里中野)

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 東武伊勢崎線武里駅西口から1km程北西、真言宗智山派宝性院の西隣に鎮座する稲荷神社(春日部市武里中野63)。
 地図を見ると香取神社と記載されており、社号標石にも「中野鎮守 香取神社」と刻まれているが稲荷神社である。由緒書きを見ると、資料によっては稲荷神社だったり香取神社だったりするようだが、埼玉県神社庁には稲荷神社として登録されている。
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 狛犬。
 台座には「昭和三十四年七月吉日」と刻まれている。
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 拝殿。
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 本殿。
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『稲荷神社 御由緒
 春日部市武里中野六三
□ 御縁起(歴史)
 村の開発は、『風土記稿』中野村の項に「当社も古へ大場村より分しといへど、年代は定かならず」と記されている。
 当社は、中野の中心からやや東寄りの地内でも一番の高台に鎮座しており、その南西に古くからの集落が広がっている。『風土記稿』には「香取社 村の鎮守なり、宝性院持、 末社 愛宕 稲荷」と記されており、江戸期の当社は鎮守の香取社の末社として祀られていた模様である。また、別当の宝性院は東に隣接する真言宗の寺院で、中興開山を俊作といい、慶長元年(一五九六)に没したと伝える。
 一方、『明細帳』では稲荷神社が村社に列し、明治四十五年に境内社の香取神社と雷電神社を合祀した記事が見え、江戸期には本社・末社の関係であった香取神社と稲荷神社が明治期に入るとその地位を交替した。その理由は不明であるが、『明細帳』と同時期の『郡村誌』には村社は香取社が載り、稲荷社の社名は見えず、村社列格に際して混乱が生じたことをうかがわせ、香取(かんどり)様の通称からもそのことがわかる。
 主祭神は宇迦之御魂神で、合祀神は経津主命と別雷命である。本殿には、寛政元年(一七八九)に神祇管領吉田家から拝受した「正一位香取大明神□□座」の神璽筥が奉安されている。
 なお、昭和五十二年に中野会館が建設されるまでは、宝性院の本堂が祭礼の直会の会場であった。
□ 御祭神
 ・宇迦之御魂神 ・経津主命 ・別雷命
□ 御祭日
 ・祈年祭(一月十九日) ・雨灯籠(七月第一土・日)
 ・新穀感謝祭(十二月七日)』
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 手水舎と神輿殿。
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 末社。左は不明、右は稲荷社。
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 末社。
 天神社、不明、菅原道真公像(胴体のみ)、奉献御寶前と刻まれた石塔(石燈籠?)、疱瘡神宮、天神社、天神社、荒神宮。
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 武里中野会館。
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