香取神社(薄谷)

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 春日部市立武里中学校の西側、薄谷交差点傍に鎮座する香取神社(春日部市薄谷140)。
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 鳥居。
 台石には「明治廿八年十一月吉日」と刻まれている。
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 拝殿。
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 本殿。
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 狛犬。
 台座に「天■六未正月」らしき文字が見えるので、天保六年(1835)の造立であるのかも知れない。
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『香取神社 御由緒
 春日部市薄谷一四〇
□ 御縁起(歴史)
 薄谷は、大落古利根川と元荒川の間の沖積地に位置する農業地域である。地名の由来は、村の北側から東に大川があり、そこの薄が繁茂していた地域を開発したことによるという。村の開発の年代は約四百年前、大阪夏の陣、元和元年(一六一五)頃始まったのではないかとおもわれる。慶安二-三年(一六四九-五〇)の『田園薄』には薄谷新田と見える。
 当社は、薄谷の鎮守として祀られている。創建の年代については明らかではないが、『風土記稿』薄谷村の項には「香取社 村の鎮守にて、真福寺の持なり」と記されており、当社の西隣にあった真福寺が別当として社務を司っていたことがわかる。仝寺は粕壁宿最勝院門徒の真言宗の寺院で、黒谷山と号し、不動を本尊としていた。その開基については詳らかでないが、延享元年(一七四四)の「権大僧都法印後央不生位」、寛政十二年(一八〇〇)の「権大僧都法印秀英不生位」とそれぞれ刻んだ二基の墓石が残る。
 明治初年の神仏分離により別当真福寺と分離した当社は、明治六年に村社となり、同四十五年には字久仏の無格社雷電社を合祀した。この雷電社の元地は現在の武里中学校校庭の一角となっている。なお、真福寺は明治七年に廃寺となり、その跡地の共有墓地の一角には、現在薄谷会館が建てられており、祭りの際には直会の会場として利用されている。
□ 御祭神
 ・経津主神 ・別雷神
□ 御祭日
 ・おびしゃ(一月十一日) ・雷電様のお祭り(七月五日)
 ・悪病除け(七月十一日) ・感謝祭(十二月七日)』
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 末社。
 左は不明。うねうねとした文字らしきものはうっすらと見えるのだが、読めない。石祠正面には「天和三癸亥天(1683)三月吉日」、中間の台石には「嘉永二酉年(1849)四月吉日」と刻まれている。また石祠の側面と背面にも文字が刻まれているが、いまひとつよくわからない。
 右は雷電宮。側面には「享保十七壬子歳(1732)十月吉」と刻まれている。
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 末社殿。
 左から大山阿夫利神社、榛名神社、正一位稲荷大明神、天満宮。
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 天神社×3と大黒天。
 左から三番目の天神社の側面には「弘化元辰年(1844)十二月吉日」と刻まれており、大黒天の側面には読み取り難いが「天保三■辰(1832)四月吉日」と読める文字が刻まれている。
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 基標。
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