一ノ割香取神社(一ノ割一丁目)

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 東武伊勢崎線一ノ割駅の南西200m程、浄土宗圓福寺の隣に鎮座する一ノ割香取神社(春日部市一ノ割1-30-4)。
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 一の鳥居。
 柱には「平成十二年四月吉日建立」と刻まれている。
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 参道右手側に由緒沿革を記した石碑が建てられている。
『記念碑
由来
 当、一ノ割香取神社は、創建の年代は明らかでないが、ご祭神に経津主神をいただき、円福寺の縁起によると、元は新方領の総鎮守で行基作の十一面観音を本地仏とし、祀ることや、享徳三年(一四五四年)末太郎と言う者が奇異の霊護を蒙り、鰐口を寄進した事、平方村林西寺中興の呑竜和尚が祈願して霊験を得たことなどが記されている。一方、風土記稿にはこれらの話しと共に当地域は江曽堤とも呼ばれ現在地より西、三百メートルほどのところに当社が鎮座していたが、天正年間(一五七三~九二)現在地に移ったという。又鰐口は昭和十年代に紛失してしまったが風土記稿の挿図から享徳三年本願末太郎新方壮一披目香取大神鰐口の銘があったことがわかる。
風土記稿に香取神社は、村の鎮守にて円福寺にあづかれりと記されているように、当社は江戸時代には隣接する円福寺によって祭祀が行われていたが、神仏分離により円福寺の管理を離れ、明治二年村社に列格し、明治四十二年新方領耕地整理と共に当地の無格社稲荷社、諏訪社、三島社、天神社を合祀し、後に現八幡神社宮司家が継ぎ昭和二十四年宗教法人香取神社となる。当神社で行われる祭事としては、元旦祭、お備社(三月一日)祭礼(七月十三日)二百十日(九月一日)新穀感謝祭(十二月六日)がある。且ては祭のある日には氏子全員で鎮火香取大神と刻したおおのぼりを立てたものであった。このおおのぼりは江戸の大火に当地の氏子が火消しに出て鎮火せしめ、その功績に江戸幕府から鎮火香取大神の称号を送られたものである。以後火防の神として信仰を集めるようになった。現在毎年十二月二十五日に配布される御札も鎮火香取大神と刻印されている。
又当社の境内には富士塚があり、万延元年(一八六〇年)から明治中期に至る迄の多数の建塚あり、これらは地元の人々によって建立されたものである。
一ノ割地区は本田(現町会は第一~第三)・根耕地・新田(新田大沼地区)三地区からなっており、高地の本田・根耕地は畑作、新田は低地の為稲作が中心であった。戸数も九十戸余りであったが、昭和四十年代の高度経済成長に合わせて東京のベッドタウンとして人口が急増し、農業地帯から住宅地へと変化し、現在では四千世帯になろうとしている。これも先人の努力と英知の結果であると思い、ここに拝殿・境内整備の完成を期に尚一層の発展を願い記念碑に記し長く後世に伝えるものである』
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 二の鳥居。
 柱には「弘化五戊申弐月吉日」と刻まれている。弘化五年は1848年。この年の二月末には嘉永に改元されているので、改元される直前に建てられたのだろう。
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 拝殿。
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『香取神社御由緒
 春日部市一ノ割一-三〇-四
□ 御縁起(歴史)
 大落古利根川と元荒川の間の平野に広がる農業地域の一角に位置する一の割は、古くは「市野割」もしくは「一割目」ともいい、地内にある円福寺の住職祖岌が文禄元年(一五九二)に書き記した同寺の縁起によれば、岩付城主太田氏の家臣井上将監が岩付城の落城後に当地で帰農したと伝えられる。当社は、創建の年代は明らかではないが、前述の円福寺の縁起には、元は新方領の総鎮守で、行基作の十一面観音を本地仏として祀ることや、享徳三年(一四五四)に、末太郎という者が奇異の霊護を蒙り鰐口を寄進したこと、平方村林西寺中興の呑竜和尚が祈願して霊験を得たことなどが記されている。
 一方、『風土記稿』市野割村の項には、これらの話と共に、「一の割の村内にある堤は、かつては『江曽堤』とも呼ばれ、当社はこの堤の上に鎮座していたが、当地を開発した井上将監と大熊弾正という者が力を合わせて現在地の境内地に引き移した」という話も見える。ここにいう「江曽堤」は、当社の西三〇〇メートルほどの所にあったが、今では小高い盛土に面影をとどめるばかりとなっており、『明細帳』によれば当社がそこから現在の社地に移ったのは天正年間(一五七三-九二)のことであるという。また、前述の鰐口は、昭和十年代に盗まれてしまったが、「風土記稿」の挿図から「享徳三年本願末太郎 新方壮一披目香取大神鰐口」の銘があったことがわかる。
□ 御祭神
 ・経津主神〔・建御名方神・事代主神・菅原道真〕
□ 御祭日
 ・元旦祭(一月一日)  ・お備社(三月一日) ・祭礼(七月十三日)
 ・二百十日(九月一日) ・お日待(十月九日) ・新穀感謝祭(十二月六日)』
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 狛犬。
 何故このように凶悪そうな風に塗るのか……。
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 拝殿斜めから。
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 浅間神社の鳥居。
 柱には「平成二十六年二月吉日」と刻まれている。
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 左から孝心塔(庚申塔)、「献敷石伊勢太々連」と刻まれた記念碑、神武天皇遥拝處、疱瘡神。また富士塚の麓右手側には神社合併記念碑もあるが、殆どの文字が読み取れない程に薄くなってしまっている。
『浅間神社
 御祭神 木花開耶姫命
 記録によると明治二十一年にこの地に住む先人達が富士山に登山をし、山の守り神様神社からお札を迎え鎮座しました。
 その後、何回かの富士登山、浅間神社参拝を行い現在に至っております。
 この度、富士山が世界遺産に認定されたことを記念し、鳥居を建立し永く後世に伝え継ぐものであります。
 平成二十六年三月吉日』
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 塚の頂には浅間大神と仙元大菩薩。
 浅間大神の裏面には「明治二十一子年建之」、仙元大菩薩の裏面には「萬延元庚申年 八月吉祥日 薬師如来 願主 鈴行重山」と刻まれている。
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 天神社。
 鳥居の柱には「平成拾参年拾弐月吉日」、狛犬の台座には「平成二十七年七月吉日」と刻まれている。
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 浅間神社鳥居と天神社の間に線刻碑。
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 拡大。菅原道真公と梅の木であるように見える。
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 諏訪神社。
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 狛犬。
 台座に刻まれているのは嘉永四■年正月吉日……かな? 読み取り難くていまいち自信がない。
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