元新宿八幡神社(南三丁目)

IMGS8251s.jpg
 伊勢崎線第117号踏切の西側に鎮座する元新宿八幡神社(春日部市南3-18-17)。
 鳥居の柱には「昭和四年五月吉日」と刻まれている。
IMGS8254s_20161119220445ee7.jpg
『八幡社 御由緒
春日部市南三-一八-一七
□ 御縁起(歴史)
 旧粕壁宿には三社の八幡神社が祀られている。当社はそのうちの一社で、「元新宿の八幡様」と呼ばれている。
 口碑によれば、正親町天皇の御世、天正二年(一五七四)四月に北条氏の家臣関根家が常に信仰していた宇佐八幡宮の分霊を勧請して建立したことに始まり、神霊を迎えるに当たって、関根図書助が強弓を放ち、その矢の落ちた所こそ神慮に叶った所であるとして、この地を選んだという。
 関根図書助については『風土記稿』粕壁宿の旧家者九佐衛門の条に、先祖は某郡内関根村を領したことから関根を称し、その後、真蔵宗氏なる者が兵乱を避けて当所に来て隠棲した。宗氏の没後、その子が父の菩提のため、墓所に庵室を結んで真蔵庵と名付け、後に真蔵院として一寺となった。真蔵宗氏から数代を経て元亀四年(一五七三)に関根図書助が「糟ヶ辺」の合戦で戦功を立てたことにより、北条氏繁から感状を賜ったという。関根村とは、現在の行田市関根である。また、同書に当社は「八幡社二宇 真蔵院持」とあり、真蔵院持の一社として記されている。また、もう一社は、江戸初期に粕壁宿が日光街道の宿駅として定められ、字新宿(元新宿)の住民の多くが町並の新宿組に転居した際、そちらに祀られた八幡社(下の八幡様)である。当所の南にあった真蔵院も同時期にこの八幡社の隣接地に移転した。
□ 御祭神
 ・誉田別尊(応神天皇) ・息長足姫尊(神功皇后)
 ・武内宿禰
□ 御祭日
 ・元旦祭(一月一日) ・祈年祭(二月二十日)
 ・例祭(七月十五日) ・新嘗祭(十二月二日)』
IMGS8271s.jpg
 拝殿。
IMGS8280s.jpg IMGS8276s_20161119221917c2a.jpg
 狛犬。
 台座には「昭和二年三月吉日」と刻まれている。
IMGS8312s.jpg
 斜めから。
IMGS8295s_20161119225148238.jpg
『元新宿八幡神社 由緒略記
[御祭神]
 誉田別命(應神天皇)
 息長足姫尊(神功皇后)
 竹内宿禰命(春日部氏の祖)
[神社行事]
 春祭 二月二十日
 例祭 七月十五日
 秋祭 十二月二日
[由緒・沿革]
 鎮座年月日は不詳なれど口碑によると、正親町天皇の御世天正二年(一五七四)四月、当時の岩槻城主北条氏の家臣、関根家が常に信仰していた宇佐八幡宮の御分霊を勧請して建立したと伝えられている。御霊をお迎えするに当たり、関根図書助は常に使用していた強弓を放ち、その矢の落下したところを神慮の叶った場所とし、この地を選んで糟壁本新宿の鎮守として神社をお祀りしたと云われる。
 爾後新宿(江戸時代に粕壁宿本新宿と改む)の鎮守として鎮座ありしが大正十二年(一九二三)九月、関東大震災により、本殿・拝殿共に全壊せり。この時、本新宿の民家も被害が甚大で、神社の修復について住民協議し、神璽を一時大砂の村社八幡神社にお預けして、民家の復興後神社を再建してお迎えすることに決した。
 ところが、その後本新宿地内に禍が再三あり。住民は、これを神様のお怒りと恐れ、協議の結果、民家の復興より先ずは神社の再建が必要と感じ工事に着手し、大正十五年(一九二六)現在の社殿を建立したと伝えられている』
IMGS8293s.jpg
 稲荷神社。
 鳥居の柱には「平成九年壱月吉日」と刻まれている。
IMGS8263s_20161119220444f56.jpg IMGS8266s.jpg
 猿田彦大神と青面金剛。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード