大泊香取神社(大泊)

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 浄土宗安国寺の北東に鎮座する大泊香取神社(越谷市大泊19)。
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『大泊香取神社(越谷市大泊字北十九‐一)
歴史について  埼玉県神社庁調査
 当地は会の川右岸の沖積地に位置し集落は自然堤防上に東西に連なる。戦国期までは下総国葛飾郡下川辺庄に属したと伝えられ慶安元年(一六四八年)の安国寺宛徳川家光朱印状には武蔵国葛飾郡大泊村と見えることから、江戸前期までには武蔵国に編入された事がわかる。地名地内の浄土宗安国寺を開山(中興)したと伝わる誠誉専故が故郷の紀伊熊野大泊から名付けたと伝わる。しかし一説には、かつて当地は会の川の渡し場で湊町としてにぎわったことから大泊と称されたともいわれる。当社は村の徴高地に位置し、かつては当社のすぐ裏の低地に水田が広がり他の三方は畑であった。
 当社の由緒は伝わらないが、下総国に属していた時代に下総国一之宮香取神宮を勧請したものであろう。風土記稿〔大泊村の項には〕香取社二字村の鎮守なり(一は東光院持)(一は村民持と載る)これに見るように当地は上組と下組に分かれ、上組で祀られたのが(東光院持)と載る当社である。当社は明治四年に東光院の管理を離れて村社となった。同四十年には下組で祀られた香取社をはじめ地内の雷電社・権現社を合祀した。なお本殿には神仏習合時に香取社の本地仏であった木造十一面観音像〔高さ三十一センチ〕が厨子に納めて安置されている。と共に香取神社(経津主命)を祀られている』
 会の川と書かれているが、これ正しくは会之堀川じゃないですかね? 会の川ではまた別の場所になってしまうのだけど、会之堀川の略称として会の川と書いているのかな。
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 拝殿。
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 稲荷大明神。
 右側の石祠三基は左から不明、不明、雷電宮。中央の石祠には本■■願成就らしき文字が見える。
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 成田山不動明王、石燈籠、水神宮、石祠。
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 御嶽神社。
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