藤塚香取神社(藤塚)

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 大落古利根川に架かる藤塚橋の180m程東に鎮座する藤塚香取神社(春日部市藤塚429)。
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 二の鳥居。
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 境内では既に正月の飾り付けの準備が始まっていた。あと三週間ほどもあるのに気が早いなあ。とりあえずできるだけ邪魔にならないように参拝と撮影をば。
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 拝殿。
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 由緒書きとその下に力石。
『香取神社記
御祭神 経津主命
御神徳 武の神 国土開発の神であり心願成就
    産業(農工商)健康の守護神でもあります。
御由緒 桃山時代の天正六年(一五七八年)現在の千葉県砂原市の香取大神を五穀能成万民
   豊楽の神として東国寺開山の光誉上人がここに勧請したものです。その後江戸時代
   享保十三年(一七二八年)七月社殿を造営し同年十一月神社管領より宗源の宣旨を以
   って正一位香取大明神の神位を授けられました。現在の社殿は昭和四十九年十月二
   十四日氏子崇敬者の御奉賛により新たに造営され同年十一月三十日奉祝祭が執り行
   われました。
    昭和五十七年一月一日』
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 狛犬。
 台座には「昭和十一年二月吉日」と刻まれている。
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 天満宮。
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『天満宮記
御祭神 菅原道眞公
    天之手力雄命
御神徳 菅原道眞公は平安時代の人(八四五年~九〇三年)で学問の道に秀れ古くから学問
   の神、受験就職の幸運を導く神として崇敬されています。
    又合祀されている天之手力雄命は天の岩屋にお隠れになった天照大神のお手をと
   って再び外界に引き出し奉った雄々しい神です。
御由緒 昭和五十二年十月二十一日東京文京区の湯島神社より勧請したものです。
     昭和五十七年一月一日
       香取神社氏子総代会
(尚此の社記は旧社記を基にして、平成六年に作り替え、又此の社殿は旧地盤の悪化の為
平成六年十二月旧地より南に約七、五米移築したものです)』
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 稲荷社。
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 石疱大明神、不明、不明、不明、雷電社、辨財天神、小御岳石尊大権現、小御嶽大神、浅間大神。
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『玉垣造営記念碑
 天皇御在位六十三年の時にあたり、先人がこの地を拓き、大水害、台風、大震災、また数度に亘る国難にも耐え、経験した幾多の困難と努力によって、今日、昭和年代の最も成熟した文明、豊かな生活文化時代となった。この時、氏子中相集い、千年の森、御神木の棚石、玉垣の築造、鳥居建立などの神域づくりに奉仕する次第となった。
 当神社の近年史に、又、今日あるは初代細川寅末、島村泰市、日向凞、金子政蔵、各歴代会長、宮司吉田清丸、総代、地区長、各位の貢献、氏子中の奉仕協力の賜物であります。
 この地の自然、住民の営みにあって、明治以来豊野村として栄え、時代の発達は鉄道に始まり付近駅の開設、国県道の改良、昭和八年藤塚橋の開通は交通利便の地となった。
 時の進展は昭和二十九年春日部市となりその一員となった。農村都市から四十年代に入り、武里公団住宅に始まり、この地藤塚にも木下工務店により文化村の開発、指導者を得て六軒地区、本田上、新川など土地区画整理事業による広範な新しい街づくりが行われた。学校、病院、銀行、消防署、公民館など整い面目一新、自然と人と人との融和と文化は日一日と高まり新ふる里へと進んだ。
 時代の技術革新は未知の世界を拓き、テレビ、コンピューター、マイカー、新幹線、ジェット機、家電製品など驚きと喜びと幸せを与えてくれた。物質文明の時代にも、先人の素朴で力強く、扶け合って生きぬき、家と村を興し心豊かな里として引き継がれた心と御神徳は最高無限のものであり、いつも神社はその中心にあった。
 今回の神域づくり事業に際して、氏子中、各団体、施工関係者各位の格別なるご協力によって見事立派な完成を見ることができ最高の喜びであり深く敬意と感謝の意を表する次第であります。
 氏神のご加護によりこの地の限りない発展と氏子中の幸せを祈念し碑文といたします。
          昭和六十三年十月二十三日』
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 北側鳥居脇の青面金剛。
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 北側の鳥居。
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 西側の鳥居。
 何年か前までは金色だったようだ。

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 藤塚橋の傍に設置された石碑。
『藤塚橋の由来
徳川時代以来江戸運河を中心とする舟運にたよつていたこの地方も 明治三十二年夏 東武鉄道が開設され 新らしい陸運時代が展開されることになつた しかし大落古利根川に隔てられた豊野地区は依然交通に恵まれず 渡船を唯一の交通機関としなければならなかつた 大正十五年秋 一の割駅が開設され 当入会地区は直接駅に通ずる要衝の地となり 架橋を要望する声が俄かに高まることとなつた 昭和八年に到り 坂巻治平氏を中心とする十名の有志により藤塚𣘺組合が結成され 資金八百円をもつて有料橋を架設 一般の交通に便ならしめた 爾来昭和二十九年春日部市制施行に伴つて買収されるまで二度にわたる水害にも耐えて長期間よく地方交通の便に資した功は誠に大なりというべきである  戰後急速な産業の発展 自動車の急増による交通革命が進むにつれ 東日本を縦断する四号国道の完成を見る等 この橋の重要性は年とともに高まり 一方木造であるこの橋は 老朽甚だしい実状に鑑み 昭和三十八年市当局の英断により根本的改築の議定まり 最近の技術と方式をもつた新𣘺が本日ここに開通を見るに到つたのである 思えば 地区民の永年にわたる熱望がここに達成せられたことであつて 將に地区の黎明ともいうべく 今日地区民の喜びはもとより 今後の発展に寄与することは はかり知れないものがあると思われる依つて ここに碑を建て由来を遺す所以である
昭和四十年一月一日 日向凞撰 石原儀平書』
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