神明宮(並榎町)

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 並榎町神明会館脇に鎮座する神明宮(高崎市並榎町364)。
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『神明宮由緒
 明治十二年に制定された上野國神社明細帳には、
村社 神明宮
一、祭神 天照皇大神
一、由緒 勧進年月不詳、上野國神社明細帳

 從四位下、榎本於神と、載たるは当社なり、
 按ずるに社号は、並榎の村号より興るか、
 尚、近地高崎町に榎本明神々社あるも、亦一の
 因由とすべし、    今、神明社と称するは
 何年度より斯なるを知らず。
         という記述がなされています。

このように、神明宮となる以前は榎本於神明神であり、「榎本」は並榎に関連する名前であり、「於神」とは水の神を指す呼び名です。
それが、中世以降の神明信仰の高まりによっていつの頃からか、神明宮となりました。
上野國神社明細帳「永仁六年(一二九八)總社神社蔵」に旧名が記録されているということは、当社は平安時代には既に存在し、この地が古墳だったことを考え合わせると、その起源は相当古いものと考えられます。
明治四十三年、神明宮は高崎神社に合祀され、一時期社はなくなりましたが、その後町民の強い願いにより、昭和四年に再建されました。
「お神明様」と慕われ、毎年四月二・三日に執り行われる春の例祭には、「明應三年(一四九四)に始まったとされる」獅子舞が奉納され、神明宮は町内の人々にとって、心のよりどころであります。
 平成二十一年六月吉日』
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『神明宮
 当社は、「上野国神名帳」に従四位下、榎本於明神とあるのが、いつの頃からか、神明信仰(天照大神を主祭神とする伊勢神宮内宮が総本社)に変ったと思われます。
 明治四十三年(一九一〇)、神明宮は高崎神社に合祀され、一時期社はなくなりましたが、その後町民の強い願いにより、昭和四年に再建されました。「お神明様」と慕われ、毎年四月二・三日に執り行われる春の例祭には、明応三年に始まったとされる獅子舞が奉納されます。
舞のときに四股を踏むように地面を踏みつける動きは並榎独特のものと伝えられ、高崎市の重要民俗文化財に指定されています。
 境内には、村上鬼城の揮毫による並榎橋の親柱のうち、二本が狛犬の台座として残されています』
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 狛犬の台座には「なみえはし」の文字が見える。
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 拝殿。
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 本殿。
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『大雨に獅子をふりこむ祭可南 鬼城
 O-ame ni shishi o furi-komu matsuri kana kijo
高崎市並榎町には、後世に残したい文物がいろいろあります。なかでも伝統的郷土芸能として、並榎獅子舞と、村上鬼城の事績はぜひ語り伝えたいものです。
上州・高崎をこよなく愛し、上毛三山や遠望する浅間山の四季を写し、小動物・植物を慈しみの心をもって写生し、数多くの名句を吟じました。
「心耳の俳人」として先師を顕彰し、永久に残す句碑を並榎町住民の総意と賛同者の基金によって、神明宮の境内に建立しました』
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 社名を示すものは見当たらないが、二猿が陽刻されているので庚申関係の祠であると思われる。また隣の小さな石塔には猿田彦大神と刻まれている。
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 二猿。
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 御嶽山座王大権現。
 背面には「慶應二年丙寅十二月吉辰」と刻まれている。
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 境内端の……稲荷社かな。
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 道祖神。
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