金綱稲荷神社(神田和泉町)

IMGS1909s.jpg
 和泉公園と日本通運の間に鎮座する金綱稲荷神社(千代田区神田和泉町2-3)。
 こちらにお参りするのは九年ぶりか。結構変ったなと言う印象だったが、見直してみたら全然変っていなかった。前回は夜明け前のほぼ真っ暗な状態だったせいで、周囲のことなどがあまり記憶に残っていなかったのだろう。
IMGS1921s.jpg IMGS1922s.jpg
 お狐さま。
IMGS1912s.jpg
 本殿。
IMGS1930s_20170205210309519.jpg
『金綱稲荷大神由来
 ここに鎮座まします神様は、お位では正一位の極位格式本大斉祀式の最高「金綱稲荷大神」と申される神様でおわします。
 この神様の親神様は、伏見稲荷大神であらせられまして、五穀豊穣を守る農耕の神、衣食住の神と仰いで崇敬され、更に商売繁盛の神、産業護の神、道中を守護する神と信じられ、今日的には生活守護の神、交通安全の神と崇め奉られているのであります。然して、金綱稲荷大神様が、この地和泉町に外まつりとして奉祀されるに至りました経緯は、遠く三七九年の昔に遡及することになりますが、それを要約いたしますと、日本通運の先祖に当る飛脚問屋京屋弥兵衛という方が、徳川幕府から免許をうけて、大阪(浪花)、京都(京)、東京(江戸)間の運送事業を開始することになりましたものの、当時の世相は未だ物情騒然として治まらず、人様から頼まれた大切な信書や金銭それに貨物などを、安全正確に送り届けるにはどうすればよいか、ということについて苦慮されたのであります。そのとき、京屋弥兵ヱの脳裏をかすめ閃めいたのは、伏見稲荷大神様が、中世のころ、熊野信仰がさかんになるにつれ、熊野参詣の道中を守護された道中安全の神様であらせられることを想起し、これは伏見の親神様にお縋りし、ご助力を祈願するに如かずとし、京屋は常日頃から伏見稲荷大社に参拝、同神様を信仰していたものの、これでは信心が足りないとして、同神社から大神様の"みたま"を勧請し、日夜自店にあって修行されたのであります。ところが或る夜の夢枕に王冠白衣のご神霊が立ち給い「汝の篤信のためで、汝に黄金の綱を授けるものなり、ゆめゆめ疑ごうことなかれ」とのご託宣がありましたので、恐懼再拝、感激極まりなく、早速自店で奉祀している神様に「金綱」の名前をつけ、これが金綱稲荷大神と称えるようになった由来であり、前にも増して信仰に励んだのであります、尓来、金綱様のお導きにより、京屋の飛脚は、道中における山賊や護摩の灰からの人災は皆無となりましたが、これは"厄除け""交通安全"につながり、従って無事故は信用を倍化し、顧客が増えれば"商売繁昌"につながるとして店栄えるに栄え、なおかつ誠心誠意、人間性的な事業経営は信仰に繋がるものとして、これを「業即信仰」と称え、これを金言として子孫に伝え、子孫またこれを実践躬行しましたので、京屋飛脚問屋は明治四年陸運元会社に吸収統合されるまでの二七一年もの長い間、連綿と続いた老舗となったのであります。続いて統合の結果金綱稲荷神社の祭主は時代の変遷に伴い、京屋から陸運元会社、内國通運、国際通運、日本通運と移り変りましたが、その祀り方におきまして、内まつりから現在の外まつりと変ったのであります、その理由は定かではないが、推測するに、大正初期の内國通運神田支店(現在の秋葉原支店)は、聖なるところに畄まれるという観点からと、地域社会一般の人が参拝するに過した地点をということで、現在の場所を選ばれたと思うのであります。その結果は、毎年の初午祭には盛大な祭典が行われ、地元町家一般の参拝は日に月に激増し、神田一帯の信仰を集めるようになりましたが、これもご利益を授け給う灼かな神様であることが理解されたからであります。その灼かさにあやかりたく、日本通運では新造船に「金綱丸」と命名し、航海の安全を祈ったところこの金綱丸に限り就航以来一度の海難事故はなく、全く以って奇跡といわれているのであります。また、外まつりとなられた金綱稲荷大神は地域住民社会一般の方々に対しましても、人によって差別をつけられることなく祈願によってご利益を授けて下さるものでありまして、あの大正十二年九月一日の大震災のとき、猛火は殆ど神田一面をなめつくし、今にも和泉町に延焼しようとしたその刹那、俄かに神田川沿いの屋上に霊狐が現われ、頻りに炎上する火焔に立向い、それを追い拂う所作をされていましたがその神々しいお姿を、自分はこの目でまざまざと見上げたものだとは、当時穀商の鈴木四郎氏という方の話として、今に残っている逸話でありますが、これは神様は平等にご利益を垂れ給う好い一例であるのであります。このように、金綱稲荷大神様にまつわる話は、枚挙に遑ありませんが、要するにこの神様は、ご利益を祈願して成就せざることなしとの灼かな神様であらせられますので、この神様を礼拝され、広大なご神恩を鑽仰されますこと祈念する次第であります。恐惶謹言
  昭和五十五年二月三日 初午に当り
             日通金綱稲荷奉賛会』

 由緒書き設置されたんだなと思っていたが、前回の写真を見直してみたらこの由緒書きも写っていた。あの時は全然気付いていなかったんだなぁ。
IMGS1931s.jpg
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード