護国神社(乗附町)

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 群馬県神社庁の南側に鎮座する護国神社(高崎市乗附町2000)。
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『群馬縣護國神社
御鎮座  昭和十六年十一月十九日
御祭神  群馬県の殉国英霊(四萬七千余柱)
例 祭  十月十六日(第一日)
      十月十七日(第二日)
主要建物
 本殿・祝詞殿・拝殿・翼廊
 斎館・社務所・参集殿
 神楽殿・宝物遺品館
 祖霊殿(納骨堂)
境 内  二〇三五八坪』
 詳細は公式サイトで。
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 拝殿。
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『碑文
日清日露の両戦争をはじめとし幾度かの戦争を経て太平洋戦争の終結まで約半世紀の年月が流れた
この間郷土群馬の若者は高崎部隊をはじめ全国各地の部隊に所属し北や南の遠い異国の地にまた国内の各地に生命を捧げ愛国の真心をもって戦争遂行に尽したのである
しかし祖国日本の安泰と繁栄を信じながら前途有為な先輩戦友が惜しくも戦没されたことに思いをよせるとき誠に残念の極みといわなければならない
一方銃後にあって困苦欠乏に堪えて食糧ならびに軍需物資の増産と輸送及び戦地への慰問品発送など献身的に尽された方々の労苦は極めて多大であった
太平洋戦争終結から四十五年平和でしかも世界各国の注目する大国としての繁栄は戦没者をはじめ国内にあって銃後を守られた方々そして終戦直後の困難をきりぬけ復興に尽された人々の犠牲と努力の上にうちたてられたことを思いここに深く感謝の誠を捧げるものである
激動の昭和時代も終り平成の時代となった今戦争は悲惨の極みであることを痛感し平和の礎となられた英霊をはじめ多くの方々の慰霊とその功績を顕彰すると共に永遠の平和を祈念するものである
ここに同志相はかって群馬県護国神社の社頭にこれを建てる
  平成二年十月三十日』
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『日本は昭和の一時期 米英及び重慶支那と大東亜戦争を戦った 自国の安全と欧米の植民地支配からアジアを解放するためだった 戦は優勢に推移し南太平洋インド洋まで制圧したが物資の補給乏しく比島から沖縄と敵の反攻を許した この時 一機一艇で一艦に体当たりする歴史に例のない必死の戦法が採られた 貧しく誇り高い民族の苦渋の選択だった 二十才前後の若者の死への旅立ちを国民は合掌して見送った
その勇姿を此処に置く 敗戦国に育ち歴史を絶たれた現代の人よ 命に代えて何を守ろうとしたか この像に問い続けて欲しい』
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 祖霊殿。
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