小祝神社(石原町)

IMGS2611s.jpg
 天台宗常倍山南光院石昌寺の西隣に鎮座する小祝神社(高崎市石原町1247)。

『群馬縣管下上野國片岡郡石原村字西半田 郷社 小祝神社
祭神 少彦名神
    伊弉冊命 速玉男命 事解男命 大日靈命 素盞嗚命 五十猛命
    建御名方命 宇氣母智神 倉稲魂命 大国主神 大名持命 誉田別命
    大山祇命 八衢彦神 八衢姫命 久那止命 菊理姫命 市杵島姫命
    軻遇突智命 菅原道真公 藤原家隆卿
由緒 延喜式ニ上野國片岡郡小祝神社ト見ヘ、三代實録ニ授上野国正五位下小祝神社ト見
  ヘタリ、又上野國神名帳ニ従一位ト記載セル是ナリ、正徳年中別当石昌寺四世住職亮
  珍領主間部越前守ニ乞テ新ニ神殿ヲ造営シ享保二年ニ落成セリ、目今ノ本社是ナリ、
  小祝神社トシ古来ヨリ祭リ来リシ如シ、今社傍ノ田地ニ小祝名所ノ号アリ、是往古ノ
  神田ナルベシ
   明治四十一年八月十五日許可、本社境内末社厳島社、大字石原村字青水名所無格社
  常槃木神社、大字乗附村字峠山無格社熊野神社、仝社境内末社菅原社、稲荷社、八坂
  社、石神社、仝村字大黒無格社大國神社、仝境内末社菅原社、八幡宮、琴平宮、大山
  祇社、仝村字諏訪平無格社諏訪神社、仝境内末社八坂社、八幡宮、琴平宮、稲荷社、
  仝村字大平無格社大山祇神社、仝社境内末社八坂社、白山社、仝村字天神山無格社菅
  原社、仝社境内末社厳島社、秋葉社、仝村宮尾根無格社家隆神社、仝社境内末社厳島
  社、大字寺尾村字戸羽無格社神明宮、仝社境内末社菅原社、大山祇社、八坂社、秋葉
  社、仝村字舘臺無格社諏訪神社、仝社境内末社神明宮、八坂社、秋葉社、稲荷社、仝
  村字下無格社石神社、仝社境内末社秋葉社、八坂社ヲ合祀シタリ』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
IMGS2614s_20170304211922c27.jpg
 鳥居。
IMGS2625s_20170304211941019.jpg IMGS2627s_20170304211957ac2.jpg
 社号標石と案内板。
IMGS2633s_20170304214010d4e.jpg
 由緒書きの下には芭蕉句碑がある。

『小祝神社
 小祝神社は片岡の鎮守として、また安産・子育守護神として崇敬篤い社である。
 神社の創建は不詳であるが、元慶四年(八八〇)に正五位が贈られ、延長五年(九二七)の延喜式神名帳に上野十二社の第七社に加えられており、その時からでも千年以上たっている。
 祭神は、「少彦名命」で医薬及び穀霊神であるところからこの土地の豪族が、悪疫退散・五穀豊穣を祈願して建立したものと思われる。現在の社殿は江戸時代の正徳年間、高崎城主、間部越前守詮房により造営されたものである。
 四月と十月の祭典には、神楽が奉納され多数の参詣者で賑わう。
 境内には、
 「しばらくは 花の上なる月夜かな」
の芭蕉句碑がある』

『高崎市指定重要文化財
 小祝神社本殿 附 享保元年棟札・享保二年奉納額・享保四年寄進銘
 小祝神社は「延喜式神名帳」に記載された小社で上野国一二社(式内社)の一つである。主祭神は少彦名命である。
 現在の小祝神社社殿は拝殿・幣殿と本殿が一体となっている。しかし、拝殿と幣殿は後から建てられたものであり、本殿は建設当初は単独で建っていた。
 間部家文書と奉納額により、正徳三年(一七一三)に建て替えの企画が始まり、享保二年(一七一七)に上棟したことが明らかである。また、棟札と彫刻パネルの墨書より、享保元年に起工し、享保五年には竣工していたと推定できる。棟札によれば大工棟梁は大塚彦平、木挽は高橋嘉助であり、共に高崎町住である。
 当本殿は、三間社入母屋造、側面三間で向拝三間を付ける。屋根は銅板葺(当初は檜皮葺または杮葺)とし、軒は二軒繁垂木とする。向拝は海老虹梁で繋ぎ、手鋏を付ける。大床を正側背面の四方に廻し、脇障子を立てる。内部は前方二間を外陣、後方一間を内陣とし、内陣に厨子を安置する。
 背面の一部とはいえ、建造当初から壁面に彫刻パネルを嵌め込む例として現時点では県内最古である。当本殿は高崎市における文化財指定の神社本殿建築として最古であり、また、彫刻パネルを嵌め込む建物の年代判定の指標となる建物として貴重である。
 所在地 高崎市石原町一二四七
 指 定 平成一四年二月二〇日』
IMGS2644s.jpg
 小祝神社甚句。
IMGS2631s_20170304214012c37.jpg
 拝殿。
IMGS2690s_20170304220907daf.jpg IMGS2693s_20170304220906b05.jpg
 狛犬。
IMGS2694s_20170304220454d39.jpg IMGS2697s_20170304220547425.jpg
 唐破風に施されたこの彫刻は黄安だろうか。
IMGS2652s_20170304214011aeb.jpg
 拝殿斜めから。
IMGS2673s_2017030422132259f.jpg
 本殿斜め後ろから。
IMGS2676s_20170304221321cfc.jpg
 本殿北面の彫刻。
IMGS2701s_20170304221344eb3.jpg IMGS2671s.jpg
 本殿西面と東面の壁画。
IMGS2656s.jpg
 前列左から猿田彦大神、地神、庚申塔、日本廻國塔、巳待塔。
 後列は猿田彦大神と石祠二基。
IMGS2704s_20170304221843c17.jpg
 神楽殿。
 右下の小さな石碑は村上鬼城句碑。「新米を 食うて養ふ 和魂可南」

IMGS2609s.jpg
 石昌寺入口。
IMGS2605s.jpg
『常倍山南光院 石昌寺
 宗派は天台宗、本尊は阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩、不動尊があります。
 寛永年間(一六二四~一六四三)に松月道青庵主の開基と言われますが、由緒は不詳です。古来、石昌庵と称した寺名は、本寺である昌楽寺(現前橋市総社)から「昌」の字と、所在地石原村の「石」の字を合わせたと思われます。
 江戸時代は、神仏習合で隣接する小祝神社の別当(管轄)を務める寺でした。正徳二年(一七一二)に、住職亮珍が荒廃した小祝神社の再建を時の高崎藩主間部詮房に願い出ました。由緒ある小祝大明神であることが考慮され、藩有林に繁茂していた松の木の使用と、石材の採取許可を受けることが出来、享保二年(一七一七)落成しました。
 境内には秀全和尚建立の地蔵塔のほか地蔵塔数基や阿弥陀塔があり、南東角に建つ薬師堂は眼病に良いとされています』
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード