慈眼院結城家御廟(結城)

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 松月院の西側、大谷瀬町集会所脇に位置する慈眼院結城家御廟(結城市結城2709)。
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 左の塚の上に二十基の五輪塔があり、右の祠は八尺堂。
 そしてこちらも結城百選の一つ。
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『史跡 慈眼院結城家御廟
 かつてこの地は、小塙・乗国寺末の福聚山慈眼院という曹洞宗寺院の境内で、結城市歴代の御廟としてふさわしいものでした。
 戦国時代の結城家十六代政勝は、鎌倉時代からの名門結城家の将来を託した嫡子・明朝に先立たれ、世の無常を感じてか、出家し、自ら大雲藤長と名乗り有髪の僧となり、一五五三年(天文二二)慈眼院を創建しました。
 御廟は、周囲に堀を構え、塚状に土を盛り、土塁を廻らし、床面には大谷石を敷き詰め、さらに塚全体に玉石を並べるなど、排水に細心の注意が施されています。
 その中に前壇を設け、初代・朝光から十六代・政勝に加えて明朝、さらに、妙仙ほか無銘の二基を含めて、二十基の花崗岩製の五輪塔が図のように並んでいます。
 御廟成立の時期については、次のような説があります。
(一) 政勝が隠居後、各所にあった先祖の墓を移して、惣御廟を築造した。
(二) 十八代秀康が、越前に転封するにあたり、結城家に関わる諸寺院を越前に移転す
   るに際し、各寺院等の歴代の墓を移して、御廟を築造した。
(三)秀康の転封後、この地方を治めた代官(伊奈備前守忠次)が、領民懐柔策の一環と
  して、結城氏歴代の御廟を築造した』
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 ぐるりと並ぶ五輪塔。
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 八尺堂。
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 扁額には「慈眼院八尺堂観音」と書かれている。ぽぽぽとか言い出したりはしない筈。
 扇形の扁額には御詠歌が刻まれているが、崩し字はわかり難いなぁ。「罪とがの 雲ははれ●●八尺堂 ながめはここに 朝日かがやく」かな? ●●の部分はなんだろね。
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 大谷瀬町集会所の裏には八尺堂朝日観音旧所在地の碑。
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