安穏寺(結城)

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 曹洞宗結城山大寂院安穏寺(結城市結城1725)。
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 こちらも結城百選の一つ。
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『安穏寺
 安穏寺は、結城山大寂院安穏寺と称する曹洞宗の寺院です。
奈良時代に、祚蓮律師という高名な僧侶によって律宗の寺として創建されたと言われています。室町時代になり、応安四(一二七一)年、結城家八代直光が、源翁和尚を招いて開基として、禅宗の寺として改めて創建されました。
 源翁和尚は、那須で人々や鳥獣に害を与えていた殺生石を二つに割り、中にいた悪霊を成仏させた人物として知られ、このことから石を砕いたりする槌のことを「げんのう」と呼ぶようになったと言われています。今でも当寺には、源翁和尚愛用の数珠と払子が伝えれられているほか、市内玉岡町には「源翁和尚の墓」(市指定史跡)が残されています。
 安穏寺は、結城家やその重臣である多賀谷氏から厚く保護を受けていましたが、なかでも結城家十六代政勝は自分の菩提所とし、「安穏寺殿大雲藤長居士」という位牌をつくったほか、十七代晴朝は、当寺において自身の吉凶を占っていました。
 なお、境内にある山門は、和様を基本としながら禅宗様が取り入れられており、赤門の名で親しまれています。

県指定文化財
 数珠 工芸品・室町時代・昭和三十二年一月二十五日指定
 払子 工芸品・室町時代・昭和三十二年一月二十五日指定
市指定文化財
 源翁禅師頂相
  絵画・室町時代・昭和五十一年四月一日指定
 安穏寺山門
  建造物・江戸時代・平成二十一年十一月三十日指定
平成二十二年三月』
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 結城市指定文化財の山門。
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 本堂。
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『安穏寺境内墓地特別整備事業
曹洞宗 結城山 大寂院 安穏寺(鍛冶町一七二五番地)
 春は花 夏ほととぎす 秋は月
      冬雪さえてすずしかりけり   道元禅師
 境内地、約六千三百平方メートル。本堂、朱塗二層楼の山門、通称「赤門」。櫻、梅、椿等の樹々が季節の移ろい、心の安らぎを添える。
 江戸時代、五三 石。南隣接の神社は別当であった。

 森鴎外とも親交のあった三十四世代、山林開墾、土地改良事業を進めるも、第二次大戦後の農地解放令により十三町歩(約十三万平方メートル)の土地を解放す。
 昭和三十年後半、市政の北部開発により、境内地続きの山林が御朱印町住宅の一部となり、子供の遊び場終了。三十五世寺族、若き住職共々、再び苦渋の選択を享受。
 昭和四十年代より六十年代にかけ、役員、檀家各位の尽力により、歴代住職墓地改修、墓参用水道工事、客院庫院建設、また、永年教職員にあった三十六世住職、寺族により、休憩所、資料展示室、茶室、トイレ改修、更に書院、寺務室を増設す。

 平成元年、(一九八九)御朱印堀、龍神堀、竹林、杉木立に囲まれた寺も、時代の流れ、周囲の環境の変化により「結城山」が盆地となり、高台となった四方からの流水、平成九年の大台風による大塀倒壊、墓石の危険等緊急を要する事が次々と起こり、当初の予想よりはるか多額の大事業となる。史跡「源翁和尚の墓」も然り。

 三十六世、十歳にして、三十五世の遷化にあい、戦中戦後の激動の中、寺族共々ひたすら守り続けた法灯。
 積みにし法務の中、病に倒れ、多くの方々に惜しまれつ、青春の思い出多き用賀にて遷化す。
 早朝より集いし方々の、暖かい出迎えを受け、心にかけし 古き赤門をくぐる。平成十五年の春なり。
 青く澄んだ四月の空、ますます悲し。

 万緑して静かなり朱の仁王門 秀夫(三十六世)

 三十六世遺族、志を継ぐ。心にかけし日より、二十余年の歳月を経、今ここに碑を建立す。合掌
      平成二十一年四月七日  林広忌
            三十六世 寺族 記』
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 詩碑。
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