住吉神社(結城)

IMGS3982s.jpg
 結城市役所の西側に鎮座する住吉神社(茨城県結城市結城1411)。
 鳥居の額には「住吉社 高イ竒社」とある。こちらの住吉神社には高椅神社が合祀されているので、イ竒は椅の異体字なんでしょうかね。
IMGS3984s.jpg
 こちらも結城百選の一つ。
DSCF8854s.jpg
『住吉神社由来記
西の宮鎮守住吉神社の創建は建武(十四世紀)の頃とされるが、詳らかではない。
大阪市住吉区にある住吉大社を全国の総本社とする。

御祭神
 底筒男命 中筒男命 表筒男命
配祀
 髙椅神社

この三神は記紀神代巻によると伊弉諾命が筑紫の日向の橘の小戸の檍原で祓除けをされたときに生まれた神とされ、神功皇后三韓平定の際に神威を輝かし、凱旋の後今の地(大坂市住吉区)に創建された。此の縁起により当神社も創建されたものと思われる。
中世武士団は武運長久、一門繁栄、城下万民豊楽を祈願するために氏神を祭祀し手厚く守護した。結城家においても結城領内の既存の神社、もしくは新たに神社を建立し特に遇した。
十四世紀半ば南北朝時代、東国武士においても両統に分かれ激しく対立、北朝方結城家七代直朝の代、南朝方関城々主を討つため北斗七星に必勝を祈願、其の甲斐あって関城を攻略し、康永二年(一三四三)五月十日に結城七社を定めた。当住吉神社も七社の内に数えられた。これは七社(北斗七星)の中に破軍星を求め、祈願すれば、必勝を得るという秘法である。後に士庶ともに崇敬され、結城家からも崇敬篤く十八代秀康より祀田九石を賜ったといわれ、福井移封の後も名代を立て結城七社を巡拝された。また、神仏習合著しく別当神宮寺を置いた。(現大神宮)
文政五年(一八二二)三月社殿火災により焼失し、結城藩命を以って天保元年(一八三〇)に再建竣工した。江戸時代後期の神社建築の様式を伝えるのが現在の拝殿である。髙椅神社の配祀の年代、事由については解っていない。
爾来幾星霜、広大な御神徳、夢寐にも忘れることなく、西の宮町内の守り神として、町内氏子一丸となり境内神池の整備、社殿御屋根の修復、玉垣修復等を行い今日に至り、また御神徳を後世に伝えるものである。

例祭日
 春季例祭
 四月二十九日(昭和の日)太々御神楽奉奏
 秋季例祭
 十一月二十三日(勤労感謝の日)
結城七社
 ①牛頭天王(健田須賀神社)②住吉大明神(西の宮)③大桑大明神(小森)
 ④髙椅大明神(髙椅)⑤八幡宮(上簗)⑥大神宮(中河原)⑦鷲宮大明神(萱橋)
 以上七社を巡拝すると霊験があると昔より言われている。

 平成十九年一月吉日
                       撰文 宮司 小貫隆嗣』
IMGS3995s.jpg
 拝殿。
IMGS4016s_2017031821325319b.jpg IMGS4019s_2017031821325270e.jpg
 狛犬。
IMGS4006s.jpg
 拝殿斜めから。
IMGS4021s_20170318221518e5a.jpg
 本殿。
IMGS4040s_20170318221517c8d.jpg

IMGS4027s_201703182215170e1.jpg
 池の隣には境内社。
 社名を記したものは見当たらないが、結城百選の説明を見ると「境内には酒造りの神である松尾神社があり」と記されているので、こちらの神社は松尾神社なのだろう。
IMGS4036s.jpg

IMGS4024s.jpg IMGS4057s_201703182228498e5.jpg

IMGS4002s.jpg
『宮田愼齋之碑
愼齋宮田君碑          判事 正七位 藤田九萬撰
君名秀堅字子浩宮田氏愼齋其號世仕結城藩父秀方爲下邑成東宰有治蹟君其第
二子少好學入藩黌受經於櫻川小晦明治戊辰 王師東下結城侯水野勝知在江戸
為徳川氏本藩義徒奉公叔勝寛勤 王勝知率徳川氏逋臣來襲藩城城陥而復者二
當是時物議沸騰闔藩洶洶老臣以下或不知所爲而君方弱冠堅執大義勖勵同志水
野氏社得不屋者君與有力焉事定論功以餘子別賜俸禄擢少參事既而 朝廷廢藩
君起應印旛縣辟拜權大屬尋陞大属堂警察印旛県癈仕千葉縣遷二等警部官制革
爲五等警部兼五等屬松戸警察署長十一年六月以疾罷明年三月一日歿於家年三
十四葬大谷瀬坊大勝寺先塋之次配興津氏無子以兄秀俊子貫一嗣君為吏竭力於
職不避艱險時方 朝政革新百度更張如地方警察實属創始君當其局執新法而馭
舊民緩急有序寛猛得宜余元老院議官柴原君和為縣令甚信任之行徳村民數百人
結黨将詰縣廳有所要請縣令遣君往諭之民恃衆弗聽君挺身當其衝曰汝竟不悟先
斫吾頭辭氣凛然衆即引去及其在松戸尤盡心民事民至余思之夙喪父事母阪本氏
奉養備至一日在署聞其疾輙桂容而去侍輿浴函嶺熱海温泉留數月怡愉盡歡疾痊
乃還益君之孝順出乎天性移而事上推而及民一以至誠櫻川小晦與人書曰愼齋不
為詭激之行又無赫赫之功■徳以感物人亦親愛之誠爲知言君既歿後五年其共廣
田斌永尾敬一長房利順等与乎兼縣大書記官岩佐君謀建石於結城住吉祠頭請議
官柴原君題額而属文於予予曽與君同僚誼不徳辤乃序而銘之詩曰
何以居官  勤謹果毅  何以蒞民
鐫銘貞珉  以詔百代
明治十七年歳次甲申三月
         元老院議官從四位勲三等柴原 和篆額
         千葉縣大書記官從六位勲六等岩佐為春書』
DSCF8863s.jpg
 「歩く道」案内板。
IMGS4048s_20170318223609ce4.jpg IMGS4053s_20170318223608fdf.jpg
 公衆トイレ前のオブジェ。
 その周囲には出土品を写したプレートが埋め込まれている。
IMGS3978s_2017031822402284a.jpg
 住吉神社北側の道端に鎮座する地蔵堂
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード