愛宕神社(結城)

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 真言宗豊山派日高山円蔵院光福寺の東隣に鎮座する愛宕神社(結城市結城1395)。
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 拝殿。
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 ちょっと斜め。
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 本殿。
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 狛犬。
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 猿田彦大神。
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精譱會員富澤冏碑
君氏富澤通稱宗伯常陸小塙人世業醫
寓結城丙戌年都鄙惡疫流行勢甚猛結
城傍有村曰小田林患者兩三官命君療
之君則百方盡術忽為所自感病而死實
明治十九年八月九日也嗚呼毉之臨病
猶兵之臨敵兵之沮撓無以制■醫而恇
怯何能奏效若君之死可謂不忝毉道者
也於是官特賜金若干充祭資惠遺族我
等亦以為同會員不堪哀悼相謀立碑記
其由以傳不朽云爾 根本信撰文并書
           宮田九鶴鐫
 ■部分は文字の形自体ははっきりしているのだが、現代の文字で当てはまるものがわからない。
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 歌碑。表面の文字は崩し字の為よくわからないが、裏面の碑文はしっかりしているので読み取れる。
關町大人名彛儀字叔威號雙阜一號茶六稱玄尺
常陸國真壁郡黒子邨人家世業醫大人常陸下館
藩儒醫大隝玄瑜門生也使男玄丈継箕裘焉明治
紀元之冬十二月卜居于下野國都賀郡福良邨纔
三年同四年春三月徒于結城町施醫術殆二十年
兵大人為人簡雅慕蕉翁遺風花晨月夕吟咏未甞
置又學千居士茶道業餘焚香煮泉愛書畫玩骨董
以爲樂也今茲建小碑于結城印遊寓鴻爪訣別東
西好友歸故郷草廬對筑波孱顔谷神保壽亦豈非
有煙霞未了因哉
  明治廿三年秋十月 男關町玄丈謹誌
             宮田九鶴鐫
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