附島氷川女体神社(緑区大間木)

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 見沼通船堀公園の南側、県道103号線に面して鎮座する附島氷川女体神社(さいたま市緑区大間木1522)。
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 本殿と覆屋。
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 末社。何神社なのかは不明。
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氷川女体社 御由緒
さいたま市緑区大間木一五二二
□ 御縁起(歴史)
 かつて、東京湾が大宮台地の辺りまであったころ、当社の北側の崖の下は入り江であったと伝えられる。搗島という地名も、こうした太古の海の名残の一つで、江戸時代には一村であったが、規模が小さかったことから明治九年に大間木新田と共に大間木村に合併され、その一小字となった。
 この搗島の地に、氷川女体神社が祀られるようになったのは、恐らく三室村(現緑区宮本)に鎮座する氷川女体神社の社領が村内にあったことに関連するものと思われる。見沼溜井の造成によって水没した三室村内の氷川女体神社の社領二〇石分の替地が、搗島村内に与えられたのは寛永六年(一六九二)以降のことであるから、当社の創建は、その時期よりやや降るころと推測される。
 『風土記稿』によれば、当社は江戸後期には「女体明神社」と呼ばれ、村民の持ちであったとされている。搗島は、元来は吉田一家(一族)の集落であったといわれ、今でも住民の三分の一は吉田姓であるが、その本家とされるのが吉田喜蔵家である。したがって、ここでいう「村民」とは、現在の吉田喜蔵家の先祖のことと思われる。なお、江戸時代の中ごろに同家の当主であった治郎左衛門は修験者で、明和年間(一七六四-七二)から安永二年(一七七三)にかけて東北から四国に至る諸国を巡礼しており、その納経帳が現存している。
□ 御祭神
 ・奇稲田姫命・・・五穀豊穣、縁結び、夫婦和合
□ 御祭日
 ・禦(五月十五日) ・村祈祷(七月十六日)

市指定有形文化財(建造物) 搗島氷川女体社本殿
 昭和五六年四月四日指定
 一間社流造りの小本殿です。身舎の間口が六九・〇cm、奥行きが六一・〇cm、向拝の出が五一・〇cmあります。土台上に建ち、身舎柱は円柱で、長押で固められています。柱上は舟肘木造出しの桁がのります。妻飾りは豕扠首です。向拝柱は角柱の大面取りで、柱上は出三斗で桁を受けています。身舎とは繋虹梁です。身舎の正面は板唐戸で、縁板は正面のみに向拝柱まで張られていて、「見世棚造り」となっています。木階はその前面につきます。軒は二重繁垂木で、屋根はこけら葺きとなっています。
 この建物には建立年代を伝えるものは残っていませんが、江戸時代初期と考えられます。
 平成十一年二月

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 本殿脇にも末社。やはり何神社なのかは不明。
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 本殿西側には附島集会所があり、その前の末社の中には「奉納大明神」と刻まれた石塔が納められているが、やはりこれだけでは何神社なのかはわからない。
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