大谷口氷川神社(緑区大谷口)

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 埼玉県道1号さいたま川口線に面して鎮座する大谷口氷川神社(さいたま市南区大谷口2285)。
 鳥居の柱には「明治四十三年一月吉日建之」「大谷口 廣ヶ谷戸 氏子中」と刻まれている。
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氷川神社 御由緒
□ 御縁起(歴史)
 当社は大宮台地浦和支台の北端に祀られており、その北方の低地にはかつて湿地帯が広がっていた。
 『風土記稿』によれば、大谷口村は、中尾・広ヶ谷戸・道祖土・柳崎の四か村も含んで一村をなしていたが、元禄年間(一六八八-一七〇四)にそれぞれ分村したという。当社はこの五か村の鎮守として崇敬され、慶安二年(一六四九)には朱印地一〇石を拝領していることから、分村以前から祀られていたことがわかる。本社である武蔵一宮氷川神社は、正保期(一六四四-四八)の古図を見ると、広大な見沼を望む高鼻と呼ばれる高台の鬱蒼とした杜の中に鎮座しており、当社もこれに倣って湿地帯と望む高台の地に奉斎されたことは想像に難くない。
 『風土記稿』大谷口村の項には「氷川明神社 中尾・広ヶ谷戸・道祖土・柳崎四村の鎮守なり、御朱印十石は村内及び柳崎村にて賜れり末社三神社、天神社、別当安楽寺 天台宗、仙波中院の末、養寿山観明院と号す、本尊は弥陀を安ず」と記されている。安楽寺住職の末裔である野口吉明家所蔵の文書によれば、安楽寺は文久二年(一八六二)に無住となり、本山の学僧であった徳王房順盛を留守居とし、同四年(一八六四)に住職とした。順盛は神仏分離後、還俗して名を野口耀と改め、当社の祀職となり、当社は明治四年に村社に列した。
□ 御祭神・・・素戔嗚尊
□ 御祭日
 ・新年祭・・・一月六日 ・塞祭・・・五月十五日
 ・例 祭・・・八月一日 ・秋祭・・・十一月二十三日

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 拝殿と獅子山。
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 狛犬。
 右側の獅子は頭部が破損しており、なにか別のクリーチャーのような見た目になっている。
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 臀部側から。
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 本殿。
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 天満宮・古峯神社。
 鳥居の柱には「大正十一年二月」「伊勢参拝記念」と刻まれている。
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 左から無し、春日大神・天照大神・八幡大神、疱瘡神・天満宮・稲荷大神、石神井社、第六天。
 左端だけなにも無いのはどう言うことだろう?
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 雷電神社と十二所権現社。
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 社名が記されていない為、不明。
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 中を覗き込んでみてもやはりわからないが、左の祠には「氷川社」と書かれた額と「八紘一宇従軍記念」と書かれた額があるのが見え、右の祠の中に掛けられた絵馬には狐のようなものが描かれているのが見える。
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 春日大神・天照皇大神・豊受姫大神奉拝碑と境内地譲与記念碑。
氷川神社地沿革誌
當社ハ古來安樂寺別當ニヨリ齋祀サレテオリ 明治元辰年ノ十一月浦和県役所ニ復飾ヲ願出姓名モ野口主計耀ト稱シ 同二巳年ノ六月神祇官ヨリ少講義祠掌ノ御許状ヲ戴キ神明ニ奉仕ス同三庚午歳十一月十九日県庁ニ届出セシ 氷川神社明細書 ニヨレバ
社領元朱印地 高拾石七斗 此田畑藪山合反別 三町四反六畝拾四歩 伹除地及ニ境内地 五反弐畝参歩 ヲ有ス
明治五申歳大政官ノ達旨ニヨリ 境内地ノ内 参反四畝ニ拾六歩ヲ引裂キ 上地官林ニ編入サル 同九子歳地租改正法 被 仰出サレ殘餘ノ境内地 六百参拾九坪ノ土地ヲ上ニ奉ロ 以后官有地第一種地トシテ当社ニ貸付ラレタリ 明治丗三庚子歳六月一日当社ノ社掌野口耀氏子總代野口義平同順平同利兵衛連署ノ上上地林境内編入願乎提出ス 同四十丁未歳四月丗日(社掌死亡欠員)總代野口義作松本彦吉大熊長五郎連署ヲ以テ編入之義ニ付追願セシ処同四十一年三月二日付時ノ知事嶋田剛太郎閣下ノ名ヲ以テ 上地林境内編入ノ件實測面弐反五畝八歩ニ限リ聞届ラレ 大正ヲ経テ昭和ノ御代ニ及ビタリ 昭和二十乙酉歳八月十五日 大戰終了 同年十二月十七日國家神道廢止令ヲ受ケ 同廿一丙戌二月國家管理ノ基ヨリ全ク離ル同年二月二十日神社本廳所属ノ神社トシテ立 同年七月廿日 勅令第七十號ヲ以テ改正セラレタル宗教法人令附則第二項ニ該当スル神社ニテ右附則第三項ノ規定ニヨリ主管者宮司吉田栄一氏子總代峯岸伊平次松澤芳一國谷夛吉野口夘之助野口義盛星野岩次郎大熊清光栗原縫次等連署ヲ以テ登記所ニ法人登記ス
同廿三戊子歳四月一日國有境内地無償讓與方ニ關シ而
一本殿拜殿末社附属建物工作ノ敷地ニ供スル土地 六百参拾九坪
二宗教上ノ儀式又ハ行事ヲ行フ爲ノ必要ナル土地 八百九拾六坪六合参勺
宮司氏子總代野口富吉松本芳彦野口利八野口考治冨田問吉大熊喜作野口一郎星野亥四等連署ヲ以テ申請ス 同年十月廿日浦和市大谷口字向二二八五 二二八六ノ二
指令社第三〇五號 神社境内地千五百參拾五坪六合參勺 伹シ立木共東京財務局長湯地謹爾郎殿ノ名ヲ以テ讓與ノ許可書受納ス
明浄正直ノ瑞光照合ス 茲ニ氏子奉讃會員一同談合シ社殿屋根改修並各箇所之修繕ヲ行ヒ壽祝ノ誠ヲ表シテ永久ニ記念シ奉ル次第ナリ
 昭和廿四己丑歳十月二十日   明階二級宮司 吉田栄一 謹書

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 伊勢太々神楽之碑。
 背面には「明治十五年五月廿五日」と刻まれているので、1882年に建てられたもののようだ。
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